過去の研究例会情報 [2024/08/06 更新]
《第199回研究例会》
森尻純夫の研究と活動史
発 表 者 : 森尻 純夫
司 会 : 茂木 栄
日 時 : 2024年7月13日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンラインでも併用開催(zoom予定)
【オンライン会場に関しては、要・事前申込み】
発表要旨
ここに掲げる「論考」は、実体験を基にした『民俗芸能研究』72号(令和4年3月)、74号(令和5年3月)に掲載されたものである。より具体的に、より明確にするため、談話するという形をとることを要請されたことを幸甚としている。
昭和50(1975)年、はじめて早池峰神楽を観賞する。
「演劇」から「民俗芸能」へ
・「演劇」での行き詰まり
・活路を求めて…「民俗」へ
一ノ倉保による太鼓との「出会い」=「名人」とはなにか
旅する芸能座
・早池峰神楽が「旅」を『活動』の基盤としていることを知る
「親座」と「弟子座」
・「旅」は、「弟子座」を生みだす「旅」の途次、教授した若者たち(次、三男)が座を構える
帰京後、発見者である本田安次氏の著作を漁り、その他の関連し記録された文献を渉猟した。
東北民俗芸能の発見者=本田安次
・本田安次の歴史的役割
・東北民俗芸能の紹介者であるとともにその理解者でもあった
岩手県近隣の芸能探査
・岩手県内の他の儀礼
・芸能 ・その他を見歩いた
渉猟…深化と発展
・地域芸能と生活のあり方を知悉したいと念じ、渉猟を続けたほぼおなじ時代(昭和50、1970年代)に韓国、中国に、赴く機会を得た。
東京公演から世界へ
・東京公演を企図し、岳座、石鳩岡座を紹介することに専心した
各地芸能の遍歴、やがて海外の芸能へ
・欧州六か国、フランス、その他の海外公演をおこなった
山の信仰と生活…結びにかえて
山岳信仰 = 宗派仏教に捉われない「山岳信仰」を基盤に据えた地域生活を把握した
早池峰山を崇敬する
・「水」の恵み、「灌漑」を齎す
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、本研究会は対面・オンライン併用開催(予定)となります。
オンラインでの参加希望の方は、以下のリンク先のお申込みフォームからお申込みください。
開催前日までにZoom招待メールが来なかった場合は、事務局にお問い合わせください。
(対面会場での参加希望の方は、事前予約する必要はございません。
当日会場へ直接お越しください。)
※対面参加の方は参加費200円(オンライン参加の方は無料)です。
※非会員の方も参加できます。
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(受付は既に終了いたしました。)
《第198回研究例会》
中世遠江国の仮面群と武士勢力
― 津毛利神社の「王の舞面」とその周辺から ―
発 表 者 : 渡邊 浩貴
司 会 : 鈴木 通大
日 時 : 2024年5月18日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンラインでも併用開催(zoom予定)
【オンライン会場に関しては、要・事前申込み】
発表要旨
本報告は、中世音楽文化の地域的展開について、遠江国を事例に検討を加えるものである。具体的には津毛利神社(静岡県浜松市)所蔵の「王の舞面」、賀久留神社(同)所蔵の陵王・納蘇利・獅子頭など、遠江国内の鎌倉・室町時代制作の舞楽面・行道面を中心に、それらがどのような勢力によって地域にもたらされ、またいかなる流転を経て現況の民俗芸能へと再生していくのかを追っていきたい。
遠江国の仮面群や舞楽については、これまで民俗分野で研究が進められてきた。しかし、個々の仮面群を美術史学の視点で制作年代や技法をより詳細に絞り込み、その上で、文献史学によって仮面群をとりまく政治権力などの地域社会の歴史像を復元的に明らかにするならば、仮面や音楽文化の背後に蠢く社会の姿をより明確に描き出せよう。これらの作業によって、地域に残る民俗芸能がどのような歴史的背景を持ち、伝世する仮面群がいかなる流転と再生を繰り返して現在に至るのかを提示したい。
なお、本報告は神奈川県立歴史博物館の令和六年度秋季特別展「仮面絢爛」の準備調査過程で得た知見をもとに報告するものである。
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《第197回研究例会》
ふるさとの芸能をつなぐ
― 学生たちと被災集落の模索を通じて ―
発 表 者 : 金子 祥之・今野 実永・佐澤 春花
司 会 : 上西 律子
コメンテーター: 懸田 弘訓
日 時 : 2024年3月16日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンラインでも併用開催(zoom予定)
【オンライン会場に関しては、要・事前申込み】
発表要旨
本報告では、被災地の民俗芸能をつなぐ取り組みの成果と課題を報告してゆく。福島県浜通り地方には、かつて豊かな民俗芸能が数多く伝承されていた。しかし、2011年の東日本大震災により、大多数の芸能が休止してしまった。もちろんそこには、過疎化・高齢化の急速な進行、あるいは避難生活の長期化といった課題が潜んでいる。そうしたなかで、私たちは、大学生と被災集落とが連携し、芸能に取り組む活動に取り組んでいる。2021年に企画し、翌年から本格的にスタートした。多くの人びとの協力により、現在も活動が続いている。
開始からある程度の時間が経過したいま、自分たちの活動を自己反省的に振り返ってみたい。縁もゆかりもない学生たちが芸能にかかわることが生む成果と課題とを、学生たちとともに報告する。
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《第196回研究例会》
神楽の意味などについて
発 表 者 : 小島 美子
司 会 : 茂木 貞純
コメンテーター: 加藤 健司
日 時 : 2024年1月20日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンラインでも併用開催(zoom予定)
【オンライン会場に関しては、要・事前申込み】
発表要旨
神楽の意味について多くの大先輩たちが論じて、神座(かむくら)とするのが定説となっている。しかしこれは神楽の実態とは離れている。それで調べているうちに気がついたのは、一口に神楽といっても宮中などで行われているいわゆる御神楽の系統と、シャーマンである巫女の舞の系統は、まったく別であるということである。
御神楽は神事のあとのいわば直会として、歌を中心に参会者たちが遊んだものである。神ありて ともに楽しむ 歌遊びというところだろうか。一方神楽の最初の形などといわれる天の岩戸伝説は、巫女舞の系統の一例で、宮中では本領を発揮する場はなくなり、春日大社では重要な役割を果し、民間では広く行なわれていた。中世になって乱世をチャンスとして巫女に代って修験や陰陽師などが始めたのが、いわゆる里神楽の最初の形である。
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《第195回研究例会》
法人化する保存会
発 表 者 : 小林 稔
司 会 : 加藤 健司
コメンテーター: 茂木 栄
日 時 : 2023年9月16日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
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発表要旨
近年の社会情勢は極めて目まぐるしい。そうしたなか、従来の保存会を法人化する動きがある。もちろん、ここでいう保存会とは、祭りや民俗芸能など、およそ無形の民俗文化財を将来にわたって継承していくとする、保護目的のもとに設定した当事者集団のことである。そして、それらは当然のごとく、当該地域の社会のあり方や人びとの暮らしぶりを反映し、運用・展開されてきた。しかしながら、私たちはもはや初穂のみではこと足りないという、現実を目の当たりにしている。
ときとして祭りは、伝統に置き換えられ、永続や循環の表象として受け止められ、清廉な価値観を醸成してきた。つまり、ここに心象世界と現実世界との乖離をどう自覚し、如何に埋めていくのか、それが今、問われているといってよい。
「この前はどうだったのか」にとどまらず、「これからどうするのか」という問いの転換や思考の増幅は、ひとり当事者のみが背負うことでもなく、研究者側にも突き付けられた社会的問題かと思われる。
そうでなければ経世済民などありえようもない。
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《第194回研究例会》
三匹獅子舞の諸相と形態からみた特徴
― 神奈川県域の事例を中心に ―
発 表 者 : 鈴木 通大
司 会 : 加藤 健司
コメンテーター: 高橋 裕一
日 時 : 2023年7月8日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
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発表要旨
「三匹獅子舞」とは、頭部にシシとも称する龍、鹿などのカシラ(獅子頭)を被り、腹に付けた太鼓(羯鼓)を両手で打つ舞手(踊り手)が三匹一組となって踊る(舞う)獅子舞のことで、この形式を風流系統の「一人立て三匹獅子舞」と称され、人口に膾炙しています。この獅子舞は、岩手県を除いた東北地方から、関東および甲信越地方にかけて東日本に広く分布し、その数も、およそ800か所、あるいは1000か所以上あるといわれています。神奈川県は、その分布の南限にあたり、多摩地域から伝わったとされています。また、三匹獅子舞の発祥については、おそらく遅くても江戸時代初期頃だろうと考えられています。
こうした三匹獅子舞について、先行研究を踏まえつつ、調査報告書・民俗誌および筆者の調査から渉猟して得た神奈川県域や県外の事例をもとに、民俗学的見地から比較検討を試み、その形態を明らかにするとともに、同時にその特徴を明示することにあります。そこで、「変化」と「消長」に留意しつつ、三匹獅子舞の構成、祝日、名称・呼称、分布、祈願の目的、伝承母体、獅子頭の型式、発祥の時期などを手懸りにして言及していきます。
なお、第106回研究例会(2005年11月)において、「三匹獅子舞 ― 展示を中心に ―」と題して発表しましたが、今回の発表はその延長上にあります。
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《第193回研究例会》
『冊封琉球全図』に見る、冊封と琉球芸能
発 表 者 : 茂木 仁史
司 会 : 茂木 栄
コメンテーター: 小島 美子
日 時 : 2023年5月6日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンラインでも併用開催(zoom予定)
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発表要旨
『冊封琉球全図』は、北京の故宮博物院の収蔵資料で平成16年に初めて海を渡って沖縄の那覇市民ギャラリーで展示された。彩色画の美しい資料で、琉球国における「冊封」の儀礼に関わる10枚の絵画からなる「冊封全図」と、沖縄の地誌・図鑑というべき12枚の「琉球全図」の、併せて22枚の絵画とその説明書きで構成される。
当初、著作者や年代について不明だったため、長らく歴史資料としては利用されずに来たが、国立劇場おきなわと沖縄県立芸術大学の共同調査で1719年に尚敬王の冊封のため渡来した、冊封副使の徐葆光の手になることが分かった。年代が確定できたことから、当時の首里城の様子をはじめ琉球芸能の研究についても、貴重な情報をもたらせている。
本講座では、『冊封全図』を中心に、18世紀の冊封儀礼と芸能にかかわる研究の現在を紹介する。
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《第192回研究例会》
諸塚神楽の特色と価値
― 「拝み」と「岩戸」を中心として ―
発 表 者 : 渡辺 伸夫
司 会 : 川﨑 瑞穂
コメンテーター: 鈴木 昂太
日 時 : 2023年3月4日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンラインでも併用開催(zoom予定)
【オンライン会場に関しては、要・事前申込み】
※例年1月にも開催されている研究例会ですが、
2023年は早稲田大学の施設工事のため1月に開催されません。
お間違えない様、お気を付けください。
発表要旨
宮崎県諸塚神楽は、日本で唯一の伝承である戸下大神楽の「山守」をはじめとして、摩耶夫人の堕地獄と救済の説話が語られる「綱荒神」(戸下大神楽)や中世的な内容を含む様々な唱教を豊富に伝承している。諸塚神楽の特色の第一は、神歌・禰宜・唱教・言句・問答などの口誦面である。すなわち唯一神道の影響をほとんど受けず、神仏混浠の姿をとどめていることである。第二には、荒神問答に伴う柴入れと綱入れ、面連れと神面舞、宝渡しと舞下しなどの動態面でも他の諸神楽とは一線を画す際立った特色を示していることである。第三は、神面・神楽文書・神楽衣装などが有形の神楽資料(文化財)として、いずれも貴重なことである。
今回はとくに地域性に富み、特異性の顕著な「拝み」と「岩戸」に焦点をあて、その価値を論じる。南川神楽「拝み」と戸下神楽「御拝」は、毎年の普通神楽番付の第一番である。六人舞で東南西北中央の五方を向き、拝みの言句を唱え三度の拝みと散米をする、本来は願神楽であったと思われる。
南川神楽と戸下神楽の「岩戸」には、次のような際立った特異性がある。
(1)「岩戸」に登場するのは、手力男ではなく春日大神(神面)である。
(2) 神面舞にはいずれも神面を御神屋に導く面連れ(鈴とご幣などの採物を持つ素面の一人舞)を伴うが春日大神には面連れがない。
(3)「岩戸上」と「岩戸下」からなり、前者の春日大神は鈴とご幣を持って静かに厳かに舞う。後者は神面と衣装は「岩戸上」と全く同じだが、舞手が異なり、古老格の祝子が務める。しかも神面舞の中で唯一、採物を持たず、両手で印を結びながら舞う。
(4)「岩戸下」の時、神官が高天原の神前に低頭して大祓祝詞を奏上する。また天照大神役の児童が高天原前に囲われた岩戸(屏風)の中に入り神面をつける。
(5) 春日大神はやがて岩戸を開くと、天照大神が両手に持つ日月の円盤に手を添えて岩戸から引き出し、ゆっくりと左右の手を交互に引いて一歩ずつ後ずさりしながら時計まわりに御神屋を三巡する。この時、祝子たちは御神屋に向って着座し、神歌三首を唱和する。天照大神が祝子部屋に戻り神面を脱ぐと万雷の拍手に包まれる。こうして夜神楽終盤最大のクライマックスが終了する。
本発表では、さらに天照大神が両手に持つ日月に着目し、諸神楽の事例を検討する。
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《第191回研究例会》
熱田神宮の神楽
発 表 者 : 鬼頭 秀明
司 会 : 鈴木 昂太
コメンテーター: 山路 興造
日 時 : 2022年9月10日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
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発表要旨
三種の神器の一つ草薙の剣を祀り、旧東海道の宮宿に鎮座する愛知県名古屋市の熱田神宮では、明治時代初期の神社改革まで、地域色が濃い神楽を年中行事の神事で奏していた。それは神楽座や神子座に属した社家が奉仕したのである。笙や篳篥などを奏する神楽だけでなく、祭り囃子の笛と太鼓を使用する神楽も存在した。特に後者は周辺地域の祭礼にも影響を与えた結果、一つの文化圏が形成されていた。それを普及したのは、社人または楽人とも呼ばれた、先の社家と関係する者たちであった。その社家の中には猿楽者も所属した。彼らは祭礼の神楽を奉仕するだけでなく山車囃子の笛方、いわゆる芸能者として各地に出かける者もあった。
この神楽は熱田神楽、また熱田里神楽とも呼ばれ、現在も他社からの派遣の要請から、本流は民間に委ねられながらも伝承されている。その特色の一つは神子が神楽鈴で祓うことである。このように熱田神宮で発生し多様な様相を示す熱田の神楽を紹介することにしたい。
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《第190回研究例会》
民俗芸能学は存在できるのか?
― その歴史と未来 ―
発 表 者 : 山路 興造
司 会 : 川﨑 瑞穗
コメンテーター: 渡辺 伸夫
日 時 : 2022年7月16日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
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発表要旨
大正末期頃に始まった民俗伝承への関心は、柳田国男を中心に広く全国に広がり、戦争が激しくなる前には、『民俗藝術』など多くの月刊誌が出版されるなど、多くの関心を集めた。しかしその内容の多くは、所在と調査の報告で、未だ研究の段階ではなかった。戦後も同様で、雑誌『芸能復興』(後に『民俗芸能』に改題)を発行した民俗芸能の会も、同好会の域からは、なかなか脱皮できなかった。そのような状態の中で、1984(昭和59)年、「民俗芸能学会」が設立される。内容において「学会」と名乗れたのかどうかを、ほぼ同じ時期に京都で設立された「藝能史研究会」と比較しつつ、自分の体験を通じて少し考えてみたい。合わせて、「学会」を名乗る以上は、今後どうあるべきかも模索する。また「民俗芸能」という用語や、現在慣例的に使用されているその分類についても、根本から考え直してみたい。
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《第189回研究例会》
福島県内における「出雲流神楽」の分布と系譜
― その継承のかたちと震災後11年の現状 ―
発 表 者 : 懸田 弘訓・上西 律子
司 会 : 川﨑 瑞穂
コメンテーター: 小島 美子
日 時 : 2022年5月28日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
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発表要旨
本田安次先生は「白河の関を越えた磐城、岩代の里に、能が舞になった神楽が分布してゐる。」と書かれたことがある(『能が舞になった神楽 ― それと採物舞と』本田安次著作集 日本の傳統藝能 付録三 平成6年)。
関東から白河の関を越えて磐城、岩代、つまり福島県に入ると、神楽の芸態が変わってゆくという指摘は、非常に興味深く、そこには今なお、神楽研究にとっての深い示唆と学びがある。
本田安次著作集『日本の傳統藝能 神楽Ⅲ』(平成六年 錦正社)の「諸國の神楽2」においては、福島県域の九か所の出雲流神楽が紹介されている。本発表では、まずこれらの神楽についての検証から始める。
・岩代安達の太々神楽(安達太々神楽 ― 現 本宮市・田村方部の太々神楽 ― 現 二本松市)
・八槻都々古別神社の神楽(現 東白川郡棚倉町大字八槻)
・馬場都々古和気神社の神楽(現 東白川郡棚倉町大字棚倉)
・鈴石神社の神楽(現 二本松市鈴石)
・安積国造神社の太々神楽(現 郡山市)
・大鏑矢神社の太々神楽(現 田村市船引町)
・三島神社の太々神楽(現 喜多方市)
・金澤黒沼神社の十二神楽(現 福島市松川町)
・相馬福田の十二神楽(現 相馬郡新地町)
次に、これらの神楽を含む福島県内の出雲流神楽の全体的な分布、担い手、演目(座)の数と構成、採物、芸態、舞のかたち、囃子の構成、楽器、伝承の仕組みなどについて比較考察を試みる。
昭和50年代から本田安次の多くの現地調査に同行してきた懸田より、当時の神楽の映像記録を紹介しながら、昔のかたちと現状を報告する。
福島県の出雲流神楽も、島根県に伝承されている出雲神楽と同じく、「神職神楽」として神職によって守られてきた。それでは、福島県の出雲流神楽と島根県のいわゆる「出雲神楽」では、「採物」の意味はどのように変わってきているのだろうか。「採物神楽」こそが「出雲流」たる所以であったはずである。これらの視点からの考察によって、「能が舞になった神楽」の実像を明らかにする。
「福島は未来の日本の姿だ」という指摘がある。2011年の東日本大震災と原発事故によって、福島では多くの芸能が途絶えようとしているなか、新たな復活の芽も確実に育ってきている。震災後11年めの今、福島の民俗芸能の実態と現状を報告することで、日本の民俗芸能の今後を、福島を起点として考えるきっかけとしたい。
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《第188回研究例会》
第12回「卒業論文・修士論文および大学院生論文発表大会」
(対面・オンライン併用開催予定)
日 時 : 2022年3月5日(土)午後2時~(午後13時45分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
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オンラインでも併用開催(zoom予定)
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《プログラム》
●鈴木 智大(富山大学)[司会]鈴木 昂太
【卒論】「「法印」のオートエスノグラフィー
:和賀大乗神楽をめぐる人類学的考察」
●坪内 香澄(国立音楽大学)[司会]川﨑 瑞穂
【卒論】「新潟市の樽砧 ― 踊りの伴奏とその変容 ―」
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、本研究会は対面・オンライン併用開催となります。
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《第187回研究例会》
近世後期、安芸国南西部における十二神祇
発 表 者 : 小原 清(オンラインでの発表)
司 会 : 鈴木 昂太
コメンテーター: 神田 竜浩
日 時 : 2022年1月8日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンラインでも併用開催(zoom予定)
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発表要旨
広島県南西部では、「十二神祇」と呼ばれる神楽が伝承されている。十二神祇は12の演目で構成される神楽で、地区毎に結成された神楽団により毎年の秋祭りで奉納される。その奏楽は緩急があるものの単調で、演目は数番の儀式舞の後に、「岩戸」「荒平」、数段に分かれた「王子」と続き、「将軍」で舞い納めるものが多い。現在は約30団体が広島市から大竹市にかけて活動している。
これまで広島の十二神祇については、新藤久人、真下三郎、渡辺友千代、岩田勝、牛尾三千夫、石塚尊俊など、中国地方を拠点とした民俗芸能研究者により研究されてきたが、近年では三村泰臣が提唱した「安芸十二神祇」の呼称が用いられるようになった。
先行研究をまとめると、十二神祇の特徴は次のとおりである。
(1) 分布範囲は、概ね広島市から大竹市にかけての安芸南部にかかるもので、一部の研究者は、豊田郡や呉市の神楽も含めている。また山口県域にも類似した神楽(山代神楽)がある。
(2) 十二神祇は近世後期に成立したと考えられており、石見または芸北地方から県南西部へ伝播したとする説や、さらに各組織が自団のものとするため、周辺や石見地方の多くの演目から十二の演目を選び所持したとする見解もみられる。
(3) 演目については、北広島町壬生の神職・井上家所蔵、天正16年(1588年)「荒平舞詞」の内容を継承する「荒平(関・鬼返し・柴鬼神)」や神がかりがみられる「将軍」など古体を残した演目が注目される。
このような現在の研究者や神楽団体がもつ十二神祇の特徴は、藩政期においても同様に見出せるだろうか。近世後期の十二神祇については、僅かではあるが奉納記録が現存している。これらによれば各組織とも所持演目が20を超えており、文化年間には各地で氏子が結成した組織が活動している様子が窺える。そのため従来の説は、今後再検討が必要と思われる。
そこで本発表では、近世後期、安芸国南西部やその周辺での神楽執行の記録から、神楽組織の構成員、所持・奉納演目、活動範囲を分析し、当時の十二神祇についてアウトラインを描いてみたい。
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、本研究会は対面・オンライン併用開催となります。
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《第186回研究例会》
若衆歌舞伎「大小の舞」と琉球宮廷舞踊「若衆特牛節」
―「型」と近世初期風俗画から解く初期歌舞伎舞踊の変遷と琉球芸能の成立 ―
発 表 者 : 児玉 絵里子(オンラインでの発表)
司 会 : 鈴木 昂太
コメンテーター: 武井 協三
日 時 : 2021年9月4日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
原則オンラインでの参加となりました(zoom予定)
【要・事前申込み】
発表要旨
従来、「男色の対象としての少年の容色本位」で「芸といったようなものはまだ成り立たなかった」(小笠原,2011 )と見なされた 若衆歌舞伎は、実は、明確な「型」を意識して元禄歌舞伎の方向性を決定づける重要な試みの時期であったのではないか。本仮説に基づき本研究は、若衆歌舞伎を中心に、阿国歌舞伎から野郎歌舞伎にいたる初期歌舞伎舞踊の変遷と琉球舞踊成立の契機を、明らかにしようと試みるものである。若衆・野郎歌舞伎は資料も乏しく、初期歌舞伎の歴史の中でもいわゆる「暗部」(武井,2000)とされてきた。発表者は舞踊体験を土台に先学の芸態研究に基づく芸態比較研究に着手したところ、先学による従来の文献研究を裏付ける、以下の具体的様相と新知見が明らかとなった。
まず具体的舞踊の手(所作)を描く「舞踊図屏風」は「遊女歌舞伎」の可能性 がある。阿国・遊女歌舞伎の舞踊は「振り」に近い「型」、すなわち「型」の萌芽期であったとみられる。恐らく初期歌舞伎舞踊における明確な「型」の成立は、若衆歌舞伎時代であった。綾子舞の小歌踊と琉球宮廷舞踊「若衆特牛節」は、初期歌舞伎舞踊の重要な所作を継承する(拙稿,2019)が、興味深いことに「若衆特牛節」には近世初期「大小の舞図」と同一の所作がある。すなわち、型の考察と画証研究からこれは偶然の一致でなく、「若衆特牛節」がより複雑な型に発展した「上り口説」とともに、若衆歌舞伎・野郎歌舞伎を代表する「大小の舞」・道行
物「海道下り」の芸脈を引くことを示している。また、老人踊「かぎやで風」と女踊り「綛掛」も、初期歌舞伎舞踊の芸系にある。つまり従来、若衆歌舞伎「大小の舞」は、「歌舞伎舞踊の一種」として「のち変化舞踊などの一曲として舞われた」(山路,2011)とされたが、初期の若衆歌舞伎時代においては「若衆特牛節」「かぎやで風」同様、幕開け祝儀舞踊に該当する演目であったとみられる。芸態比較研究の成果は、琉球宮廷芸能が従来語られてきた能楽の影響以上に、初期歌舞伎舞踊と密接な関係にあったことを示している。なおその背景として、徳川家光周辺の上覧風流踊の存在も考慮すべきであろう。
遊女歌舞伎で曲彔に座し三味線を弾く太夫は、なぜか和尚と称された。従来これを問う指摘は無かったが、実は三味線が遊女歌舞伎に登場する時期は、琉球に念仏踊を伝えたとされる袋中上人の上洛、慶長13年(1608)に重なる。翌14年の薩摩藩による琉球侵攻後、琉球国王尚寧王は在京の袋中に螺鈿の曲彔とクバ団扇等を贈ったのである。唐団扇は先学の指摘通り慶長期の舞台に頻出する。一方、団扇を持つ猿若は、組踊やエイサーにおける間の者やサナジャーに通じる。若衆歌舞伎の小袖は、王国末期の楽童子着用との伝承が残る紅型踊衣裳と同じく白地が主で、踊衣裳などの扮装に共通点も多い。元来、異国の希少を目玉としたかぶきである。初期歌舞伎舞踊と琉球宮廷芸能はその由来と系譜を、舞踊の「型」に残していたのであった。
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、本研究会は原則オンラインでの参加といたします。
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《第185回研究例会》
中世後期以降の陰陽道と民俗芸能との接点
発 表 者 : 林 淳
司 会 : 川崎 瑞穂
コメンテーター: 山路 興造
日 時 : 2021年7月24日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンライン会場でも併用開催(zoom予定)
【オンライン会場に関しては、要・事前申込み】
発表要旨
これまでの陰陽道研究をまとめた『新陰陽道叢書』全5巻が、昨年から刊行されている。この叢書には、四つの成果があるように思われる。
第一に、平安中期から始まる朝廷陰陽道は鎌倉時代を通じて拡大し展開し(赤澤春彦などの研究)、南北朝期に衰退したことが実証的に解明された点。
第二に、中世後期の陰陽道は、従来「民間陰陽道」(村山修一)の進出と理解されてきたが、地方暦、顕密寺院、戦国大名、各地の晴明伝承と関係があることが理解された点。
第三に、近世には土御門家が本所として勧進の宗教者を編成し、「陰陽師」をつくりだした点。占い師以外にも万歳師、神楽師も配下になった。
第四に、1870年に土御門家の陰陽師支配は廃止となったが、形をかえて元陰陽師の活動が継続した点。中世後期以降のトピックを挙げてみる。
(A) 『簠簋内伝』『簠簋抄』の伯道・道満説話と牛頭天王説話 / IV 松石江梨香
(B) 祭文、祭祀 / II 梅田千尋、III 松山由希子、IV 斎藤英喜
(C) 「民間陰陽師」(木場明志) / II 赤澤春彦、山村雅史
(D) 各地に残る晴明伝承。晴明塚・晴明井 / IV 高原豊明
(E) 浄歌舞伎瑠璃、 / IV 加賀佳子、大森惠子
(F) 本所土御門家による陰陽師支配 / III 全体
(G) 近代における勧進の宗教者廃止 / V 林淳、小松和彦
各時代の陰陽道は詳細に究明され、古代・中世の移行期も解明されたが、中世後期・近世の移行期は見通しがいまだついていない。中世後期の声聞師、算置などが近世の土御門家に編成される陰陽師とは連続しないこと、各地に残る晴明伝承に近世の陰陽師が関わった形跡が認められないことがある。
(F) は、1683年将軍の朱印状によって土御門家の陰陽師編成ははじまって、土御門家が発給する許状は陰陽師身分をつくりだし活動を保障するものとなった。占い師が多かったが、万歳師、神楽師も配下になる場合もあった。三河の万歳師、関東の里神楽師はそうした例であった。中世後期に由来すると思われる (A) ~ (D) は継続し、安倍晴明を化生の者とした物語が (E) にも取り入れられた。
(F) では、幕府の権威の下で土御門家の編成は着実に浸透し、「陰陽師」を再生産した。
以上、まとめると、近世には、中世後期に由来する陰陽道の知識や技能が (A) ~ (D) という形で社会に存続し、遅れてはじまった (F) が権威を以て通用し、しだいに土御門家配下の陰陽師の活動こそが「陰陽道」と認識されるようになった。
近代になると、1870年に明治政府によって土御門家による陰陽師編成は廃止となった。
しかし教派神道ができると、教派神道の教師として活動を再開させた人はいた。
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《第184回研究例会》
赤塚の田遊びにおける『御鉾の舞』再考
― 囃子の構造分析と他事例との比較 ―
発 表 者 : 川崎 瑞穂
司 会 : 鈴木 昂太
コメンテーター: 星野 紘
日 時 : 2021年5月22日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館6号館3階レクチャールーム
(東京メトロ東西線早稲田駅下車)
オンライン会場でも併用開催(zoom予定)
【オンライン会場に関しては、要・事前申込み】
発表要旨
「赤塚の田遊び」(板橋区赤塚・諏訪神社)と「徳丸の田遊び」(同区徳丸・北野神社)では、二月の祭礼当日、神社拝殿前に設えられた「もがり」と呼ばれる舞台において稲作を模した技の数々が演じられる。前者は「御鉾の舞」と呼ばれる、「もがり」の前で天狗面をつけた演者によって演じられる舞を有する。本発表の表題で「再考」としているのは、先行研究に対して何らかの批判的検討をし、新たな説を提示しようという意味では必ずしもなく、発表者のかつての指摘を新しい調査や研究から再検討することを意味している。
拙稿「大出早池峰神楽源流考 ― 関東地方の神楽囃子「テケテットン」との関係から ―」(『遠野学 vol.3』、2014)の後半では、御鉾の舞の囃子と、関東地方の神楽囃子「テケテットン」(三つ拍子)との関係を考察したが、譜例を挙げるのみで、詳細な分析をすることができなかった。
本発表では最初にこの論文の内容を説明し、次にそこに挙げた譜例を再検討する。そして最後に他地域の事例を挙げることで、拙稿の論を展開させることを目標としている。
笛と太鼓からなる御鉾の舞の囃子を細かな要素に分解すると、テケテットンの要素との様々な共通点・相違点に気がつく。
例えば、テケテットンは多くの場合「はねるリズム」の四つの音を繰り返すが、御鉾の舞は「はねない」五つの音を繰り返す。
もっとも、森林憲史はテケテットンの「はねない」事例も多数採集しているだけでなく、大宝八幡宮系の神楽(茨城県・栃木県)は「テケテットン」(四つの音)という「はねる」バージョンと「テケテツトン」(五つの音)という「はねない」バージョンを有することを指摘していたため、御鉾の舞は後者のバージョンと解釈することもできる。
ただ、テケテッ(締太鼓)/トン(締太鼓+太鼓)という「対話的進行」は御鉾の舞にはない。また、テケテットンではしばしば最後(あるいは最初)に「トントントン」という「はねない」「三つ」の音が打たれるが、御鉾の舞では四つになっている。
そしてそれら要素全体の繰り返しという点は共通している。
前述の拙稿では、「新野の雪祭り」(長野県)の囃子についても考察し、その鬼の演目「天狗」(てんごう)の囃子がテケテットンのリズムに類似していることも指摘した。
三遠南信地域のオコナイに目を転じると、「寺野三日堂ひよんどり」(静岡県)では《三拍子》という名称の囃子が用いられる。
無論、西洋音楽の三拍子の構造になっているわけではないことは前述「三つ拍子」と同様である。この《三拍子》もまたテケテットンとの共通性があり、しかも《三拍子のくずし》という囃子では「はねるリズム」に変化するのである。
このように、各要素の置換関係を細かく描き出すことで囃子の関係性を描き出すのが、本学会機関誌第67号で発表者が提示した「構造主義的芸態研究」である。
このアプローチは「歴史的」(通時的)なつながりを示すものではないが、「共時的」な分析が「通時的」な研究にも資する可能性があることを、本発表では指摘したい。
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《第183回研究例会》
第11回 卒業論文・修士論文及び大学院生論文発表大会
日 時 : 2021年3月6日(土)午後2時~(午後13時45分ミーティング開場)
会 場 : オンライン開催(zoom)【要・事前申込み】
プログラム
【修士論文・大学院生論文】
・14:00~15:00(発表40分、質疑20分)
●邢璐(國學院大學大学院)
「中国河南省洛陽市の「背装」と物語」
・15:05~16:05(発表40分、質疑20分)
●赤谷昌美(上智大学大学院)
「民俗芸能における精神性の継承と地域コミュニティの形成
― 早池峰大償神楽の実践から ―」
※本研究会はオンライン開催となります。
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《第182回研究例会》
長野市鬼無里における屋台
― 来歴・扱われ方からみる地域の意識 ―
発表者 : 樋口 明里
司 会 : 伊藤 純
コメンテーター: 福持 昌之
日 時 : 2021年1月9日(土)午後1時~(午後12時45分開場)
会 場 : オンライン開催(zoom)【要・事前申込み】
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となった
2020年5月例会
の内容で開催します。
※本研究会はオンライン開催となります。
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発表要旨
長野市鬼無里の祭礼で曳き出されてきた屋台について発表をしたい。鬼無里は、長野市北西部に位置する山間地域である。かつては麻の売買などの面において善光寺門前を中心とするゼンコウジマチ(ゼンコージ)との関係性が深かったことが指摘され、ゼンコウジマチなどの平地からはニシヤマ、オクヤマと呼ばれてきた。物流の要所として栄え、町場があったが、長野市街地や県外への人口流出が進んでいる。平成の大合併で長野市に合併をしたことにより、長野市鬼無里となった地域である。ここに現在ある屋台、あるいはかつてあった屋台について取り上げる。
鬼無里には現在4台の屋台がある。現存する4台の屋台は、鬼無里内の各地区(組)が所有し、明治時代末頃までは祇園祭(「町の祭」)において曳き出されていた。各地区から町区に屋台が集められ、曳き出されていたが、現在は町区が所有しているもののみが鬼無里神社春季例大祭において曳き出されている。他3台は曳き出されることはなく、鬼無里の資料館で展示されているのみである。発表者は、平成25(2013)年から町区の鬼無里神社春季例大祭の調査を行ってきた。調査においては、祭礼で曳き出される屋台について見るとともに、町区以外の地区が所有し、現在は曳き出されていない3台の屋台について、その来歴や現在の扱われ方を追った。また、鬼無里内のある地区から現在の長野市中心部の地域に売りに出された屋台がある。この屋台は、現在ながの祇園祭(善光寺門前町や長野市の中心市街地にて行われる祇園祭)において数年に一度曳き出されている。鬼無里で調査を行うと、度々この屋台についての話を聞くことがあった。本発表では、この売りに出された屋台に対する鬼無里の人々の意識についても取り上げたい。そして、屋台を持っている地域の情勢変化と屋台の扱われ方の関係性について検討したい。
山・鉾・屋台等について祭礼の中で研究をする場合は、人や組織、文化財制度などを中心として検討されることが多かった。民具研究においては、処分の方法や儀礼の一環で処理される方法などに着目することが多いため、屋台のようなものを扱うことは少ない。しかし、屋台等の形態の面から検討する研究などは近年充実してきており、モノとしての屋台とヒトの関係性に着目されるようになっている。そして、屋台等が人々の空間認識や人の動きに密接に関わっているものであることが、これまで指摘されてきた。それを踏まえ、本発表では、鬼無里の事例から、祭礼で使われなくなった後について、あるいは再び別の祭礼で使われた場合についての検討をしたいと思う。
[主な先行研究]
植木 行宣 2001
「第一編 第七章 山・鉾・屋台のかたち」『山・鉾・屋台の祭り ― 風流の開花』白水社
岡田 浩樹 2018
「飛騨高山祭のイマとサキ ― ザイとマチ、タビの流動化」『日本民俗学』296
福間 裕爾 1992
「『都鄙連続論』の可能性 ― 北部九州の山笠分布を中心に ―」『福岡市博物館研究紀要』第2号
村上 忠喜 2018
「『山・鉾・屋台』の意味論/政治論 ― 京都で考える民俗学のかたち ―」『日本民俗学』296
《第181回研究例会》
「大日堂舞楽」再考
発表者 : 伊藤 純、鈴木 昂太、神田 竜浩、神田 より子
司 会 : 俵木 悟
日 時 : 2020年9月5日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : オンライン開催(zoom予定)【要・事前申込み】
※以下のリンクより、オンライン参加の申込みができます。
※非会員の方も参加できます。
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため
本研究会はオンライン開催に変更となりました。
参加希望の方は以下のリンク先のお申込みフォームからお申込みください。
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※募集は終了いたしました。
セキュリティ対策のため、参加方法は9月初めに
お申し込みフォームにご記入いただいたメールアドレスに
メールでお知らせいたします。
こうした状況下の実施ですので、会員の皆様にはご理解を賜りたくお願い申し上げます。
発表要旨
秋田県鹿角市大日霊貴神社の「大日堂祭堂」(以下、ザイドウとする)は、宮司の「別当」と小豆沢・大里・長嶺・谷内の四集落から選出された「能衆」によって行われている。ザイドウは本田安次をはじめとする初期の民俗芸能研究で注目され、文化財制度と全国的な民俗芸能の分類が確立していくなかで、中央から地方へ伝播した「舞楽」として位置づけられた。2009年には「大日堂舞楽」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。
これまでのザイドウに関する研究では、芸能の伝播、芸態に主たる関心が向けられてきた。しかしザイドウでは、堂内での芸能だけではなく、能衆が精進潔斎して実施する内習や別当による修法などのさまざまな儀礼が行われる。芸能だけに注目する視点には、限界があるといえよう。また、なぜこうした祭礼・芸能が鹿角という地で行われていたかは説かれてない。
こうした問題意識のもと、本発表では、現地での祭礼調査と文書調査をもとに、地域社会にとってザイドウがいかなる行事であったかを歴史的・宗教的観点から検討する。特に祭礼・芸能組織の支配関係、政治・宗教的背景を整理し、東北における類似の祭礼・芸能との比較も行っていく。その上で、「舞楽」を再び「ザイドウ」として捉え直すことを目指す。
各発表は以下の通りである。
伊藤 純 は、現地調査の報告、研究史の検討と問題提起を行う。また、鹿角郡が藩境で、鉱山を有する要衝であったことから、ザイドウが南部藩にとって重要な修正の行事であったことを指摘する。
鈴木 昂太 は、近世期のザイドウの伝承組織の実態、その構成員である大日堂別当や社人の南部藩の宗教制度内での位置付けを明らかにし、近世期の地域社会にとってザイドウが持つ意義について考察する。
神田 竜浩 は、山形県寒河江市の林家舞楽に代表される地方の舞楽、特に東北各地に伝わる舞楽の特徴を確認し、これまで舞楽として位置づけられてきたザイドウの芸能について再検討を行う。
神田 より子は、鹿角大日堂を東北各地の事例と比較しながら検討する。そのため東北地方の一山組織の修正会と農耕開始時の祭礼に焦点を当て、年の初めに何を重視し、誰がどう表現していたのかまとめる。それを元にザイドウという組織の特徴と、修法や儀礼の宗教的な意味づけを考察する。
《第180回研究例会》7月研究例会中止
絵画資料にみる「芸態」の記録
― 遊楽図と琉球舞踊・古歌舞伎踊り ―
【中止】
発表者 : 児玉 絵里子
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター: 未定
日 時 : 2020年7月4日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
※COVID-19(新型コロナウィルス)感染症の国内における発生の現状に鑑み、
みなさまの安全をはかる必要から、やむなく
中止
と致しました。
発表要旨
発表者は、2017年12月2日民俗芸能学会椎葉村大会において、研究発表「綾子舞と琉球舞踊 ― 芸態比較研究による小歌踊と二才踊・若衆踊」を行った(会場/宮崎県・椎葉村開発センター)。この発表は、従来、本田 安次らによって漠然と指摘されてきた「綾子舞」(新潟県)と「琉球の宮廷舞踊」(沖縄県)、すなわち琉球舞踊との関係性に着目し、2015年、自らの舞踊体験を通じて、綾子舞の小歌踊と琉球舞踊における、具体的な芸態の「型」の共通点を見出したというものである。発表者は沖縄で琉球舞踊の稽古をし、新潟県柏崎市主催の綾子舞伝承者養成講座(下野)で小歌踊の指導を受け、同研究の観点を獲得した。((1) 研究発表要旨『平成二九 年度民俗芸能学会椎葉大会 大会プログラム・研究発表要旨』3頁掲載、民俗芸能学会椎葉大会実行委員会 (2) 研究発表概要『民俗芸能学会会報 第九九号』4頁掲載、平成29年12月26日民俗芸能学会発行)
その後、発表者は、絵画資料、なかでも江戸時代に描かれた「遊楽図」に着目して同芸態比較対照研究を継続している。すでに、従来の芸能研究では、能絵や狂言の絵画、浮世絵などの絵画資料が、芸能史を明らかにする重要な資料と指摘され論考が発表されているが、一連の遊楽図に描かれる「芸態」をテーマとした考察は行われていない。本発表では、江戸時代の遊楽図に何が描かれているのか、琉球舞踊、古歌舞伎踊りの観点から考察を試み、近世初期遊楽図における舞踊の描写に着目することで、「芸態」に関する新知見を明らかにしたいと考えている。
本研究発表は、平成30年度「第四七回三菱財団人文科学研究助成」(公益財団法人三菱財団)の研究成果に基づき行うものです。
《第179回研究例会》
長野市鬼無里における屋台
― 来歴・扱われ方からみる地域の意識 ―
【中止】
発表者 : 樋口 明里
司 会 : 舘野 太朗
コメンテーター: 福原 敏男
日 時 : 2020年5月23日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
※COVID-19(新型コロナウィルス)感染症の国内における発生の現状に鑑み、
みなさまの安全をはかる必要から、やむなく中止と致しました。
発表要旨
長野市鬼無里の祭礼で曳き出されてきた屋台について発表をしたい。鬼無里は、長野市北西部に位置する山間地域である。かつては麻の売買などの面において善光寺門前を中心とするゼンコウジマチ(ゼンコージ)との関係性が深かったことが指摘され、ゼンコウジマチなどの平地からはニシヤマ、オクヤマと呼ばれてきた。物流の要所として栄え、町場があったが、長野市街地や県外への人口流出が進んでいる。平成の大合併で長野市に合併をしたことにより、長野市鬼無里となった地域である。ここに現在ある屋台、あるいはかつてあった屋台について取り上げる。
鬼無里には現在4台の屋台がある。現存する4台の屋台は、鬼無里内の各地区(組)が所有し、明治時代末頃までは祇園祭(「町の祭」)において曳き出されていた。各地区から町区に屋台が集められ、曳き出されていたが、現在は町区が所有しているもののみが鬼無里神社春季例大祭において曳き出されている。他3台は曳き出されることはなく、鬼無里の資料館で展示されているのみである。発表者は、平成25(2013)年から町区の鬼無里神社春季例大祭の調査を行ってきた。調査においては、祭礼で曳き出される屋台について見るとともに、町区以外の地区が所有し、現在は曳き出されていない3台の屋台について、その来歴や現在の扱われ方を追った。また、鬼無里内のある地区から現在の長野市中心部の地域に売りに出された屋台がある。この屋台は、現在ながの祇園祭(善光寺門前町や長野市の中心市街地にて行われる祇園祭)において数年に一度曳き出されている。鬼無里で調査を行うと、度々この屋台についての話を聞くことがあった。本発表では、この売りに出された屋台に対する鬼無里の人々の意識についても取り上げたい。そして、屋台を持っている地域の情勢変化と屋台の扱われ方の関係性について検討したい。
山・鉾・屋台等について祭礼の中で研究をする場合は、人や組織、文化財制度などを中心として検討されることが多かった。民具研究においては、処分の方法や儀礼の一環で処理される方法などに着目することが多いため、屋台のようなものを扱うことは少ない。しかし、屋台等の形態の面から検討する研究などは近年充実してきており、モノとしての屋台とヒトの関係性に着目されるようになっている。そして、屋台等が人々の空間認識や人の動きに密接に関わっているものであることが、これまで指摘されてきた。それを踏まえ、本発表では、鬼無里の事例から、祭礼で使われなくなった後について、あるいは再び別の祭礼で使われた場合についての検討をしたいと思う。
[主な先行研究]
植木 行宣 2001
「第一編 第七章 山・鉾・屋台のかたち」『山・鉾・屋台の祭り ― 風流の開花』白水社
岡田 浩樹 2018
「飛騨高山祭のイマとサキ ― ザイとマチ、タビの流動化」『日本民俗学』296
福間 裕爾 1992
「『都鄙連続論』の可能性 ― 北部九州の山笠分布を中心に ―」『福岡市博物館研究紀要』第2号
村上 忠喜 2018
「『山・鉾・屋台』の意味論/政治論 ― 京都で考える民俗学のかたち ―」『日本民俗学』296
《第178回研究例会》
第10回 卒業論文・修士論文及び大学院生論文発表大会
【中止】
※COVID-19(新型コロナウィルス)感染症の国内における発生の現状に鑑み、
みなさまの安全をはかる必要から、やむなく中止と致しました。
《第177回研究例会》
愛知県知多・朝倉の梯子獅子における舞台“櫓”の考察
― 列島各地の梯子獅子の比較研究に向けて ―
発表者 : 牧野 由佳
司 会 : 坂本 要
コメンテーター: 久保田 裕道
日 時 : 2020年1月11日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
梯子獅子は、梯子や櫓状の構築物などを使用し、高所で曲芸を行う二人立ちの獅子舞芸で、東北から九州地域まで全国に伝承されている。(東北地方には梯子虎舞が伝承されるが、梯子獅子と同系統の芸能と考えられ、以下、梯子虎舞も含めこの芸能を「梯子獅子」とする。) 発表者は、これまで愛知県知多・朝倉の梯子獅子に関して六年に渡って調査・研究を行ってきた。昨年は「梯子獅子の民俗学的考察―愛知県知多・朝倉地区の伝承を中心に―」(儀礼文化研究会 2019)、「愛知県知多『朝倉の梯子獅子』における信仰伝承―世代間の変容を中心に―」(日本民俗学会年会 2019)の口頭発表を行い、主に担い手の信仰伝承の世代間の差違や、担い手組織の再編成に伴う伝承の変容に関する考察を行った。本発表では、これまでとは異なる視角で、芸能を演じる装置に着目することにより、朝倉における芸能の特質を検討したい。朝倉では、獅子が演じる梯子をたて掛ける構築物を「櫓」と呼称し、櫓に榊や御神札を掲げることが特徴であるが、これらに注目して現地調査に基づいてその特質を検討する。
その上で、日本列島各地に分布する梯子獅子の舞台装置・梯子の分類を行い、形態や機能の差の解明を試みる。梯子獅子の全国の所在について、高嶋 賢二が「梯子獅子舞の芸態成立に関する一考察―徳島県那賀郡羽ノ浦町・那賀川町の事例から」(『徳島地域文化研究』12003 徳島地域文化研究会)において梯子獅子の主要な伝承地を挙げているが、高嶋論文の論点が徳島の梯子獅子であるため、全国の獅子舞の主要な所在を紹介するに留まっている。発表者は、自身のこれまでの調査により、日本列島には30以上の梯子獅子が現存し、中断・消失した地域は少なくとも一六あることを確認している。これを踏まえて、各伝承地の舞台装置・梯子の形態・機能の分類を試み、伝承エリアによる差違があることを明らかにする。同時に舞台装飾にも注目し、その役割を検討し、梯子獅子の舞台装置が信仰的要素を持つことを提示する。
本発表は、朝倉に伝承される梯子獅子の民俗としての特質を考究することを目的とするもので、修士論文以来のテーマの一環としての考察であるが、すでに着手している列島各地の調査を深め、比較研究を進めて、各地域の梯子獅子の民俗としての特質の検討、解明を進めたい。
《第176回研究例会》
祭りにおける傘鉾の様式と機能 ― 風流囃子物をめぐって ―
発表者 : 蘇理 剛志
司 会 : 山路 興造
日 時 : 2019年9月7日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学早稲田キャンパス14号館4階402教室
発表要旨
近年、「傘鉾」に関する研究がにわかに盛り上がりを見せている。その流れを誘引する原因の一つには、ユネスコ無形文化遺産候補のグルーピングをめぐる議論が挙げられよう。
「山・鉾・屋台行事」や「風流」あるいは「練り物」の祭りのなかで、傘鉾は祭り行列の威儀や格式を示す重要な構成要素として存在している。しかし、上記グルーピングの仕分けにおいて、傘鉾はいずれのカテゴリーにも関連しながら議論上で等閑視される印象があり、傘鉾がもつトータルなイメージが分裂している感も否めない。本発表はこうした傾向に注意を払いつつ、改めて議論の場の真ん中に傘をたて再検討を試みようとするものである。
祭りにおける「傘鉾」の機能や特徴を顧みれば、古代の貴紳の威儀具であった衣笠や、祭礼行列に都ぶりを添える風流傘の登場を経て、疫神や亡魂などいつまでもこの世に留めておいてはならない霊異を傘に集め、囃しながら生活領域の外または神域内へ鎮送する思考が、傘形の鉾という様式を生み、とくに中世後期に流布した。これは我が国独自の傘の習俗だと言え、中世~近世の日本人の祭りや信仰のかたちをめぐって特色ある興味深い問題を内在している。
本発表では、祭りにおける傘鉾がもつ本来の様式や機能を風流囃子物の傘鉾の例に求め、とくに傘鉾の祭りが多く伝わる和歌山県の事例を示して、傘鉾という祭具そのものと傘鉾が出る祭りの特色について再確認したい。
《第175回研究例会》
津田の盆(ぼに)踊り」の魂よびの儀式と唄
― 民俗芸能の復活における民俗芸能大会の機能 ―
発表者 : 小林 敦子
司 会 : 伊藤 純
日 時 : 2019年7月6日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
「津田の盆(ぼに)踊り」は、徳島県徳島市の北東部沿岸のかつて漁師町であった津田地区に伝わる盆踊りである。大正期にこの地に興行に来た浪曲師が、「阿波の名物馬鹿踊りという。徳島市から一里足らず、津田の浜でも盆の踊りは盛んだった。」(梅中軒 1965:153)と記していることから、当時の市中(徳島城下)の盆踊りと同じものとされていたことがわかる。「馬鹿踊り」は、徳島県の沿岸部や吉野川沿いでも行われていた。徳島県市中の盆踊りは昭和4年に審査場が設けられて以降観光化され「阿波おどり」として隆盛し、戦後は東京都杉並区高円寺をはじめ全国約60ヵ所で行われている。
「阿波おどり」は隆盛する過程で、自由な乱舞から様式化された統一的群舞へと約60年間で芸態が大きく変容している。他地域の「馬鹿踊り」も市中の盆踊りの変化に追随し、同様の芸態となっている。この中で津田地区の盆踊りのみが元の芸態を維持していたが、住民の関心が市中の「阿波おどり」に向くようになり、昭和40年頃には衰退する。しかし昭和55年に古老に細々と伝承されていた唄と踊りが徳島県文化財保護審議委員に見いだされ、昭和61年には「津田の盆踊り」保存会が結成された。翌年には「第29回中国・四国ブロック民俗芸能大会」に、さらに2年後の平成元年には「第39回全国民俗芸能大会」に出演し、平成14年に徳島県指定無形民俗文化財となった。
本発表では、民俗芸能大会出演に向けて海難事故の遭難者の魂を人形に呼び戻すという津田地区の風習を元に構成され、踊りの前に行われている儀式と、「阿波おどり」にはない特徴的な唄に着目し、民俗芸能大会の機能を考察する。
《第174回研究例会》
由來八幡宮姫之飯神事の検討
発表者 : 小島 美子・上西 律子・茂木 栄
司 会 : 舘野 太朗
日 時 : 2019年5月25日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
由來八幡宮は島根県出雲地方の最西南端、中国山地にさしかかった所の飯南町頓原にあり、『出雲國風土記』には田倍社の名で記されている。毎年11月7日に姫之飯神事という祭が行なわれる。拝殿の中に設けられた舞殿の前面に、小さな俵二個を一組にしたものが三組並べられ、その上に白幣をたて、根つきの稲を四杷ずつ置く。禰宜が巫女の姿で登場し、再拝拍手した後、長い担い竹をとって四方に舞う。担い竹の両側に小俵の上の一二杷の稲束をかけ、両手で持って舞う。正面の案(机)の下に置いた火吹竹などを持って舞い、案の上に置いてあった玄米を蒸したり餅をつくなどの仕ぐさをし、中から餅をとり出して正面や前面の小俵の上に置く。小俵の上の幣を取り、両手にもって舞って終わる。
この前に御旅所往復などのはなやかな神幸行列などもあり、翌日には次の頭屋を決める頭渡し神事が行なわれる。
この姫之飯神事より早く10月の中頃に、その年の頭屋の田で稲刈を行ない、神事を行なった後、刈った稲を乾燥し脱穀し、それを姫之飯神事の前面に置いた三組の小俵に詰めておく。ただ一二杷の稲だけは、担い竹にかけるために残し、他は神饌に充てる。
さらにその前に注連おろしという儀式があり、田に一間四方の四隅に笹竹を立て、その正面に案を置きその上に御霊代宮という小さな宮を置いて神事を行なう。この神事では降神はするが、昇神はやらない。つまりこの小宮は稲霊を祀っているのである。
また姫之飯神事で重要なのは、古くから伝えられてきた神饌で、玄御供(玄米の小豆飯)、里芋、ヤグサ餅(蚕に似せて作った餅)の三種を必ず一の膳として供えることである。これらは水田稲作が行なわれる前の稲作以前のものを大切に祭りつづけているということである。それをつづけられたのは、一つは中央から遠く圧力がかかり難かったということが考えられるが、もう一つはそれを支える頭屋制がしっかりしていたことであろう。
この地の稲は大己貴命によって広められたと伝承されている。蚕もあり、そして里芋は南方に起源をもつ。この神事は複数の文化の複合の証左として考えられる。
「姫之飯神事」の本義を稲、儀礼、音楽、祭具類から検討したい。
《第173回研究例会》
第9回 卒業論文・修士論文及び大学院生論文発表大会
日 時 : 2019年3月16日(土)午後1時~(午後12時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
プログラム
【第1部 卒業論文】
・13:00~13:45(発表30分、質疑15分)
●蔵田 国生(國學院大学)
「百足獅子舞の誕生と伝播 ― 山形県置賜地方」
【第2部 修士論文】
・13:50~14:50(発表40分、質疑20分)
●羽田野 京(筑波大学大学院)
「変わりゆく姫島盆踊り ― 島民の選択にみる二面性」
《第172回研究例会》
傘ブクと吊り下げ物
発表者 : 坂本 要・内山 大介
司 会 : 坂本 要
コメンテーター : 福原 敏男
日 時 : 2019年1月26日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
傘鉾(傘ブク)とは祇園祭りの傘と鉾の一体化したもので、幔幕を張り吊り下げ物が下がるものがある。傘鉾については傘が依り代であり、そこに吊り下げ物を下げて送っていくのが原義であろうと考えられる。傘に身に付けているものを下げたり、小袖の布(き)切(れ)を下げたりする例は古く「洛中洛外図屏風」や「祇園祭礼図」に見られる。植木行宣氏によるとこれを「小袖風流」といい着物を傘に覆うとか吊り下げるのは、着ていた人の厄疫を傘につけて祓い送る行為であるとしている。古くは陰陽道の「撫で物」という呪術に由来すると考えられる。祇園祭りなどの祭礼図には傘鉾以外に肩車された子供に差しかけられる傘が描かれて、身に付けていた物や布(き)切(れ)が吊り下げられている。「身祓い」といわれ同様の意味があったと思われる。茨城県の霞ケ浦周辺の祇園祭にはこのような事例が最近まであった。
傘ブクに吊り下げ物をする習俗は盆の送魂儀礼や小正月の儀礼にもみられる。これらの行事は囃して送るところが多い。囃子物風流に端を発するものであろう。吊り下げ物に死者の遺物を下げる一方、五穀を吊り下げ豊作を願うなどに転じていく。山形県酒田でこの吊り下げ物のある傘ブクがミニチュア化し、雛祭りの雛壇の脇飾りとして飾られるようになった。現今流行っている雛の吊り下げ飾りがそれである。
また東北各地には吊り下げ物を伴う傘が、寺や堂の天井などに奉納される例が多くみられる。傘鉾、傘福、傘ブクなどと呼ばれるこれらの奉納物は山形県庄内地方と福島県会津地方が分布の中心で、その間に位置する新潟県や山形県内陸部にも散見される。吊り下げられる細工物は小さな着物をはじめ猿や三角の布、野菜や果物、縁起物など多様であるが、その多くは安産や子供の成長を祈願するもので、主に女性を中心に地域の観音信仰や地蔵信仰と密接に結びついている。
《第171回研究例会》
「佐陀神能」再考 ― 佐陀神能は慶長期の改革神楽である ―
発表者 : 山路 興造
司 会 : 未定
コメンテーター : 未定
日 時 : 2018年9月8日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
昭和29(1954)年、文化財保護法の改正によって、無形の文化財が保護の対象となったが、能・狂言・歌舞伎・文楽など専門の芸能者によって伝承されていた無形文化財については、多くの専門家がおり、指定や保持者の認定をすることは容易であったが、全国に伝播する郷土芸能(後に民俗芸能に統一される)などについては、熟知する専門家は少なかった。本田 安次はその要員として、当時文化財保護委員会の委員であった河竹 繁俊などの推挙によって、岩手県石巻市から東京に上京した。
早稲田大学の先輩である小寺 融吉はすでに逝去されていたが、当時は無形文化財の範疇にあった民俗芸能を、分類し体系化する事業の実質的中心者として、本田は短期間の間に民俗芸能の分類(神楽・田楽・風流・祝福芸・外来脈)をおこない
※1、さらには神楽については、巫女神楽・出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽(山伏神楽・番楽と大神楽にわける)に分類している
※2。このうち出雲流神楽については、『演劇百科大事典』の民俗芸能の項に、「今日ほとんど全国に行われている。そのはじめは、出雲の佐陀大社の神事、御座替の祭にあったと思われるが、このとき庭を清めた後に、神座となる敷きかえの御座をとって清めの舞を舞うことがあった。その採物の舞と、余興風な能とがいろいろに変化して、諸国に散じたものと思われる。」と記している。この出雲流神楽の源流を「佐陀神能」とする本田安次の見解について、あらためて考察を加え、それが慶長期に改革された改良神楽であることを詳しく論じたい。
※1 昭和36(1934)年 平凡社刊『演劇百科大事典』などによる。
※2 昭和35(1933)年 朝日新聞社刊『図録日本の民俗芸能』などによる。
《第170回研究例会》
江戸祭囃子の演者と「神楽師」
発表者 : 高久 舞
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 俵木 悟
日 時 : 2018年7月7日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
江戸祭囃子は関東一円に広がる、五人の奏者による祭囃子である。これまで発表者は、東京都内と川崎市内を中心に江戸祭囃子の調査研究を進めてきた。研究の視点は、(1) 都市部の祭礼における祭囃子の実態と、(2) 特定の演者による祭囃子の伝承とその影響、の二つに大別できる。
(1) では、東京都八王子市の八王子まつりを中心に、農村部の囃子連が都市部での祭りに参加し、農村部と都市部で芸能や山車文化の交流があることを指摘してきた。八王子まつり(前身である「下の祭り」「上の祭り」も含め)に出ることを目標とした囃子連や、八王子まつりでの競演によって技術向上を目指す演者もいた(拙著『芸能伝承論 ― 伝統芸能・民俗芸能の演者と系譜 ―』岩田書院、2017)。また、現在は東京都23区の城南地域や川崎市内の囃子連、および演者が参加する品川神社例大祭(北の天王祭)、江原神社例大祭(南の天王祭)についても調査を進めている。
(2) では、祭囃子の伝承経路でみられる特定の演者や、祭囃子の名人について詳細報告をするとともに、彼らが祭囃子の伝承に与える影響についても検証した(同上、2017)。また、民俗芸能における個の存在を伝承キーパーソンとし、祭囃子伝承者を事例として、彼らがどう受け入れられてきたのかを試論した(「伝承キーパーソンと祭囃子 ― 東京都大田区、神奈川県川崎市を中心に ―」『國學院雑誌』2017)。
本発表では、これまでの成果を整理したうえで、(1)、(2)のいずれにおいてもその存在が確認できる、神楽師について考えていきたい。ここでいう神楽師とは、里神楽などの神楽を舞う専業者だけでなく、自身を「神楽師」であると名乗る者も含める。彼らが祭囃子の伝承にどのような形で関わっているのか、文献や実地調査で得られた事例から考察する。
《第169回研究例会》
共同体と芸能実践 ― 担い手から見る伊勢大神楽 ―
発表者 : 黛 友明
司 会 : 舘野 太朗
コメンテーター : 神野 知恵
日 時 : 2018年5月26日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
伊勢大神楽は、「宗教法人 伊勢大神楽講社」(三重県桑名市)を中心に行われている神事芸能のことである。大神楽は、近世期に成立した芸能であり、民間宗教者を主な担い手として、二人立ちの獅子舞と、娯楽的なパフォーマンスで構成されている点に特徴がある。伊勢大神楽の場合は獅子舞のほかに、軽業や曲芸に連なる放下芸を披露している。
かつて大神楽の担い手には、特定の地域を門付けして獅子舞、配札をして初穂を受けとることを生業とした「専業者」が多くいた。伊勢大神楽は、現在に至るまでその性格を保持しており、担い手はその活動によって生計を立てている。そのため、活動範囲(檀那場)も、近畿・北陸・中国地方におよび、一年かけて決まったルートで回檀をしている。近年では、その珍しい活動の様子に着目し、若手の担い手を中心としたドュメンタリーが制作されて、テレビで放映もされた。
しかし、民俗芸能や芸能史の研究をみると、伊勢大神楽は、獅子神楽としての重要性は認識されてきたものの、まとまった研究は少なく、その歴史や現状は十分に明らかにされてこなかった。しかし、大神楽は、いわゆる獅子舞のイメージの原型を形成し、その分布は本土全域にわたり、獅子芝居や湯立獅子舞、寄席芸など実に多様な展開を示し、各地の祭礼にも影響を与えてきた。これは、芸能文化を考える上で重要な存在であり、その代表格である伊勢大神楽の研究は、他の事例との比較を進める上でも指標となるだろう。
本発表では、「宗教法人 伊勢大神楽講社」についての現地調査をもとに、伊勢大神楽の「組」という共同体と芸能実践の関係を明らかにしたい。「組」は、6~10名程度からなり、特定の家によって世襲される太夫名を持つ「親方」とその下で働く「子方」によって構成されている。伊勢大神楽の担い手に着目した研究は、北川 央による歴史的な研究があるが、「太夫」の歴史が中心となることが多かった。今回は、参与観察や聞き取りといった現地調査に基づいて、「組」の構成要素や分業に着目することで、担い手側から伊勢大神楽という芸能実践を検討する視座を提示したい。
《第168回研究例会》
第8回 卒業論文・修士論文及び大学院生論文発表大会
日 時 : 2018年3月3日(土)午後1時~(午後12時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
プログラム
【第1部】
1.13:05~13:35
卒業論文(発表20分、質疑10分)
●小畠 佳子(フェリス女学院大学)
「いずみ歌舞伎の実態に関する研究 ― 保存会へのインタビューを通して ―」
2.13:35~14:05
卒業論文(発表20分、質疑10分)
●中村 暁音(國學院大學)
「府中囃子保存会と囃子の継承」
≪中休み:14:05~14:20(15分間)≫
【第2部】
3.14:20~15:00
修士論文(発表30分、質疑10分)
●青木 舞花(國學院大學大学院)
「お舟祭りの研究」
4.15:00~15:40
修士論文(発表30分、質疑10分)
●須藤 満寿代(成城大学大学院)
「民謡の継承力 ― 「音戸の舟歌」を事例として ―」
《第167回研究例会》
山・鉾・屋台行事と民俗芸能をめぐって
発表者 : 福原 敏男・西岡 陽子
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 未定
日 時 : 2018年1月27日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
福原報告要旨
「描かれた山・鉾・屋台・山車の祭り ― 江戸山王祭 ―」
祝 宮静は1959年、折口依代説を敷衍して「やまのうつりかわり ― 神名火「やま」から祇園「やま」まで ―」を発表し、山・鉾・屋台・山車成立の展開モデルを提示した。先ず、プレ山車として、山そのもの、自然に対する里人の信仰があり、以下(1)~(3)へ展開したとする説である。
(1) 造り物の山を臨時に里に据える(各地の置山や北陸の築山・立山など)。御柱祭のように山の霊力を里に引き立てて移す直接手段ではなく、山の形を下界に見立てて造り物を作り立てる。造り山自体は不動だが、何回も揚げる山揚げ神事も(1)。兵庫県博蔵三山ミニ模型が国指定重要有形民俗文化財とされたのは文化庁時代の祝氏の同発想。
(2) 特定の場に据えた造り山を移動させるようになる(大嘗祭標山、日立風流物、能登七尾でか山など)静から動へ、固定から移動へ。
(3) 山の象徴性が薄れ、現代のような館や舞台、飾り物を台車に乗せて飾った移動形式の曳き物へ。そのなかで、歌舞音曲・芸能が演じられるようになる。聖(神事)から俗(芸能・娯楽・遊興)へ。
祝の図式は置山(信仰)から曳山・舁山(装飾・神賑)へ、であり、これが近年も支持されている。同論では標山は(1)→(2)の移行過程と考えられるが、標山は移動が前提で初期より(3)唐風装飾。
これに対し、近年の植木 行宣による成立展開説として、中世後期の京都など都市部における風流囃子物より展開。これは祭礼や盆・小正月において、傘鉾などを中心に練りながらの仮装行列・歌舞や囃子である。京都祇園祭の山鉾などはこれを母胎に誕生し、以降の近世都市祭礼においても練物(邌物・踟物)や通物という祭礼行列が神輿渡御を中心とする御旅所祭礼のなかで行われ、そこから各地で独自に、山・鉾・屋台や山車が展開した、という説である。本発表では三種の江戸山王祭絵巻に、上記の実態を見ることを目的とする。
西岡報告要旨
「美濃における大山とだんじり ― その受容の諸相 ―」
岐阜県下の主な山鉾屋台の祭礼は現在40件程度を数えることができる。これらのうち飛騨には高山祭り(八幡神社祭礼・山王祭礼)と古川祭りの3件のみで圧倒的多数が美濃に分布している。さらに美濃でもその大半は中濃・岐阜・西濃地域である。
付随している芸能に注目するなら、垂井祭りに代表されるような子供歌舞伎を中心とする芸山が西濃の一部に分布し、これらは山そのものの形態も含め、長浜の曳山を参照したとみられる。これを西方の畿内の祭りの系譜というとすれば、これら以外のほとんどは尾張の祭礼の影響下に成立したと見られるものである。
尾張系統の祭礼は津島天王祭に代表される大山と車(だん)楽(じり)の祭りとこれから展開したいわゆる名古屋型の山車の2類型がある。大山と車楽はセットで動き、大山は3層の櫓状の形体で、上段と下段で人形戯を見せた。この人形は、からくりで動作するものと素朴な杖頭人形とがあった。一方、車楽の屋上にも飾り人形が載せられたが、芸能としては階上で行われる鞨鼓舞や獅子舞を中心とする稚児舞であった。
津島天王祭の大山と車楽の記録は大永2(1522)年に遡るとされるが、明治初頭に大山は廃絶し現在は車楽のみが登場する。熱田天王祭りの大山も戦災で焼失して、尾張の大山は絵画資料にのみその姿を留める。
一方、美濃にはこの大山と車楽のセットの祭りが3カ所で現存している。南宮大社祭礼・大矢田神社祭礼・御嵩薬師祭礼である。いずれもおそくとも戦国期には成立していたと見られ、上にあげた大山と車楽の芸能的要素をすべて備えている。加えてこれらの周辺に、大山の人形戯や車楽の稚児舞、またはその一部の要素を備えたヤマ、ダンジリなどと称する山車が展開している。本発表は、尾張津島祭礼の大山と車楽の系譜に連なる山車の芸能を、その受容の様相に注目しつつ美濃における山車祭礼の特色を述べようとするものである。
《第166回研究例会》
関東地方の神楽囃子「三つ拍子」の音韻論的研究
発表者 : 川崎 瑞穂
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 入江 宣子
日 時 : 2017年9月2日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
関東地方の里神楽の囃子には、「三つ拍子」と呼ばれる一群のリズム型が存在する。このリズム型については、森林 憲史が『民俗芸能研究』誌上を中心に数本の論文をまとめており、発表者は2016年に提出した博士論文「徳丸流神楽の成立と展開 ― 民族音楽学的芸能史研究 ―」(2018年、第一書房より出版)の序章において、森林の研究を例として挙げ、民俗芸能研究における音楽分析の重要性を指摘した。
三つ拍子は特徴的な短いリズムの反復であるため、発表者も以前から注目していたが、2016年度には、「笹川科学研究助成」(公益財団法人日本科学協会)を利用して東北地方・中部地方を中心に、三つ拍子のヴァリアントの採集を試みた。森林は当初、一連のヴァリアントを秩父地方での通称を用いて「テケテットン」と総称していたが、後に江戸神楽での楽曲名を用いて「三つ拍子」と総称するようになった。三つ拍子には様々な「唱歌(口唱歌)」が存在し、テケテットンはその唱歌に由来する通称であるが、発表者は今までの研究において、あえてこの「テケテットン」を総称とし続けてきた。それは、三つ拍子の謎を解く鍵がその唱歌にこそあると考えているからである。発表者は民族音楽学に依拠して民俗芸能の研究を行ってきたが、民族音楽学のアプローチの一つに、詞章や唱歌の音素に注目する音韻論的手法がある。本発表では、三つ拍子の歌唱の音素分析を通して、その起源と、他のリズム型との関係について考察する。
本発表は大きく二部に分かれている。まず、森林が採集した三つ拍子のヴァリアントの唱歌から音素を析出し、音韻構造を把握する。発表者が一連のヴァリアントを「三つ拍子」と呼称しないもう一つの理由は、2016年に発表した拙稿において、三つ拍子の起源を高麗楽の「揚拍子」に求めたからであるが、今回は音素分析からその仮説の検討も行う。また前述の調査では風流拍子物の調査も平行して行ったが、今回は、三つ拍子の分析から得られた音韻構造と、風流拍子物の唱歌のそれを比較分析する。冒頭で述べたテケテットンの特徴、すなわち短いリズムの反復は、樋口 昭によって指摘された風流拍子物のリズム型の特徴でもあるが、風流拍子物のリズム型が「前拍+二分割された後拍」であるのに対し、三つ拍子のリズム型は「二分割された前拍+後拍」というように、前後が逆転しており、その関係性は唱歌の音素にも反映されている。本発表では最後に、風流拍子物のリズム型が三つ拍子のヴァリアントである可能性を検討する。
《第165回研究例会》
村芝居の現在・過去・未来
発表者 : 舘野 太朗
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 中村 規・神田 竜浩
日 時 : 2017年7月1日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
今回の発表では、神奈川県の事例を中心に、村芝居の現況、担い手や上演の変化、将来への見通しと課題についてお話ししたい。
村芝居とは、祭礼等の機会に村落で上演されるかぶき芝居である。そのうち、村落の住民がみずから演じるものを地芝居、外部の劇団や近隣の住民を招聘して上演するものを買芝居と呼ぶ。村芝居を請け負う劇団は太平洋戦争後に姿を消し、現在では村芝居と地芝居がほぼ同義となっている。現在、地芝居を上演する団体は全国に200件ほどあるが、江戸時代から連綿と上演が続いている団体は希で、多くの団体が中断と復活を経験している。
神奈川県では、1800年頃には既に地芝居が上演されていた。明治以降は買芝居が優勢となり、神楽師の流れをくむかぶき専門の劇団が1970年頃まで活動した。その後、県下の村芝居は、海老名市大谷地区の地芝居を残して行われなくなるが、1990年代以降、各地で地芝居の復活がなされ、現在は、海老名市の大谷歌舞伎、相模原市緑区の藤野歌舞伎、綾瀬市の目久尻歌舞伎、横浜市泉区のいずみ歌舞伎、座間市の入谷歌舞伎の五団体が活動している。大谷歌舞伎を除く四団体では祭礼の場を離れて、公共ホールで公演が行われている。また、義太夫狂言の上演に不可欠な竹本は全団体で外部から演奏家を招聘している。
現在の村芝居は民俗藝能の範疇で議論されうるものなのだろうか。浅野 久枝は「創り上げられる「山の芸」―長浜曳山祭・奉納子供歌舞伎にみる町衆の心意気」(『民俗芸能研究』61、2016)において、「地元以外の指導者を招聘する地芝居すべてが民俗芸能かどうかは言及しないが、少なくとも長浜曳山祭で上演される子供歌舞伎は、「山の芸」という民俗に裏打ちされた芸能である」としている。守屋 毅「地狂言の終焉」(角田一郎編『農村舞台の総合的研究』、桜楓社、1971年)を参照しながら、私見を述べたいと思う。
《第164回研究例会》
御冠船踊りを伝承する沖縄本島の村踊り ― 女踊りに注目して
発表者 : 板谷 徹
司 会 : 坂本 要
コメンテーター : 茂木 仁史
日 時 : 2017年5月27日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
沖縄本島では八月十五夜や重陽の節句の時期を中心に村踊りが多くの地域で行われる。豊年祭、豊年踊り、八月踊り、村遊び、村芝居など地域によって呼び方は異なるが、近世の村(現在の字)の単位で行われる芸能であることから村踊りと総称される。
冒頭に「長者の大主」が演じられ、120歳の老人が子、孫を引き連れ、芸能でカミをもてなす。この「長者の大主」が芸能を上演する場を設定することによって、続いて地方に伝播した王府の芸能 ― 組踊りや端踊りなどが行われ、御冠船踊りに飽き足らぬ人びとは明治以降の沖縄芝居などの演目も村踊りに取り込み、果ては新体操やブレークダンスまでがカミのもてなしとされる。厳密に構成された舞や踊りが祭祀の実修となる民俗芸能からすれば、村踊りの柔軟性はその定義をはずれ、文化財の指定を困難にするとともに、指定によって村踊りの活力を奪うことにもなる。
かつて沖縄本島の村踊りと同種の多良間の八月踊りについて、永積安明はその組踊りの運歩を「首里の優雅な抑制が失われたもの」とした。村踊りについての沖縄での評価も同様で、見慣れた芸能を素人がやっているに過ぎないと考える向きが多かった。つまり御冠船踊りが士族から百姓に伝えられて身体技法や型が崩れてしまったとみて、村踊りに御冠船踊りが遺されているとは考えなかった。
御冠船踊りは近世後期から明治にかけて、士族を通して村々に伝播した。その後、芝居や琉球舞踊の影響で変化するにしても、注意深く観察すると村踊りには琉球舞踊とは異なる身体技法、型が見出される。そのひとつが女踊りの女立ちで、琉球舞踊では歌持で舞台に登場すると左足を横に出して立ち、歌が始まって踊り出す。この女立ちの型はすでに戦前の渡嘉敷守良の資料にみえるが、女立ちの語が定着するのは本土復帰の1972年までくだる。他方の村踊りには女立ちの語がほとんど聞かれず、立直り、胴直り、座直りなどと呼ばれて、踊り初めに身体を直す動作であった。琉球舞踊の女立ちが正しく、村踊りの立直りが御冠船踊りを伝習した村びとの誤解であったと簡単に片付けることはできない。むしろ御冠船踊りの洗練という近代化の過程で、琉球舞踊の身体技法と型が御冠船踊りから大きく乖離したとみるのが妥当な推測であろう。
村踊りの、あるいは御冠船踊りの立直りが琉球舞踊の女立ちに変化する過程は詳らかにし難いが、身体技法や型の変化は踊りの世界 ― 複数で踊る共同体的で民俗性の色濃い女踊りを一人で踊る女性の心情を表現する世界へと変質させてしまった。
《第163回研究例会》
第7回 卒業論文・修士論文及び大学院生論文発表大会
日 時 : 2017年3月4日(土)午後1時~(午後12時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
プログラム
1.13:00~13:30
卒業論文
●金澤 すみれ(成城大学)
「民俗芸能と「個人」 ― 千葉県館山市神余のかっこ舞を事例として ―」
2.13:40~14:20
修士論文
●大山 晋吾(國學院大學大学院文学研究科文学専攻)
「高原の神舞に関する研究」
3.14:30~15:10
大学院生論文
●田村 明子(成城大学大学院博士課程後期)
「江戸里神楽に視る披露と受容」
《第162回研究例会》
パンソリ音楽文化の近代と今日の全州大私習
発表者 : 野村 伸一
司 会 : 神田 より子
日 時 : 2017年1月28日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
民間の音楽文化であったパンソリは2003年にユネスコの無形文化遺産一覧表に登載された。それは、能楽、文楽などと同様、韓国の古典芸術でもある。一方で、能楽、文楽などと違って古典としての継承に留まらず、社会の現実を組み込んで再創造する必要があるのではないかと問われ、模索されつづけている。実際、1980年5月の光州民主化運動を語る創作パンソリも歌われている。そして、今日なお地域の祝祭の核としても機能している。全羅北道道全州市で毎年開催される全州大私習戯(ジョンジュデサスプノリ)がそれである。これは日本の干渉で20世紀初に一旦、断絶した。しかし、パンソリの故郷全羅道、とりわけ全州ではパンソリ文化は生きつづけていたとみられる。歌い手(名唱<ミョンチャン>)は祝い事や宴の場によばれて歌うこともあった。何よりも聴き巧者(耳名唱<グゥイミョンチャン>)が多数いた。そしてこの人たちを中心に1974年復活推進委員会が結成され、1975年に復活した。
全州大私習ノリはパンソリ唱者にとって名唱への登竜門である。10年、20年の経歴のある唱者が全国から集まり競演する。壮元(ジャンウォン=第一等)には全国レベルの歌い手という名誉と同時に多額の賞金が与えられる。19世紀末にはパンソリ愛好者大院君(国王高宗の父親、執権者)により宮廷に招かれた。当然、名唱たちは懸命になった。ところで、こうした来歴の競演大会だが、毎年、地元のテレビ局により全国中継されるうちにさまざまな問題が起こってきた。観客の固定化(高齢化)、若者たちのパンソリ(あるいは国楽)離れ、祝祭のマンネリ化などである。憂慮した全州大私習ノリ保存委員会や全州MBC、全州市はこの祝祭の見直しをはじめた。そして二度の学術検討会などを経て、2011年から、市内の韓屋村(ハノクマウル)を舞台に新たな大私習ノリをはじめた。いわば祝祭の第二版である。この核心には、観衆とともにあそび(ノリ)文化を享受するべきだという認識がある。文化伝統の継承と創造はどこにおいても難題だが、文化都市全州はパンソリ文化を創造的に育んでいくならば、韓国だけでなくアジア音楽文化の一拠点ともなるだろう。それだけの文化資源はある。
今回は、二度の見学を通して次の四点を伝えたい。第一に、観客との呼応で創られた生きたパンソリの光景。第二、パンソリ文化の近代、そして現在。第三、1975年の全州大私習ノリ復活の経緯 ― 中断以前の姿への模索。第四、全州大私習ノリの今後の展望 ― 東アジア文化共同体の遺産とするための提言。
《第161回研究例会》
小久喜のささら獅子舞・獅子頭の彫師名の発見
発表者 : 高橋 裕一
司 会 : 山路 興造
コメンテーター : 中村 茂子
日 時 : 2016年9月3日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
埼玉県白岡市無形民俗文化財第一号「小久喜のささら獅子舞」の起源は大正11(1922)年9月に鬼久保與右衛門が記した『獅子連中例記』によれば、文政11(1828)年1月に小久喜の南方約六キロに位置する深作(現、さいたま市見沼区)から伝授を受けたとの記載があり、これ以外に具体的な由来を記した文書が伝わってこないことから、各種資料はこの記載を根拠としてきた。
一方、獅子舞を伝承してきた地元では、享保年間(1716~35)、字中村に諏訪神社を創建した際、再度、深作に教えを乞いに行ったのが文政11年であるとの理解である。
平成27年3月末に、筆者は腐朽が進んでいるこの獅子舞の「隠居獅子」(既に退役した獅子頭。獅子頭三点及び天狗面)について、同獅子舞保存会長老 松原 英一 氏の協力を得て、計測等の自主的な調査を行った結果、大獅子、中獅子、女獅子の三体ともその内側に「彫工後藤正綱」の墨書を発見した。東京藝術大学大学院の近世彫刻史の専門家に実検してもらったところ、埼玉で享保年間等に活躍した初代 後藤 正綱との見方を示され、享保年間創始の裏付けとなることが判明した。併せて、この獅子舞の特徴などを発表したい。
《第160回研究例会》
備北地方の神弓祭 ― 広島県庄原市西条町と比和町の事例 ―
発表者 : 鈴木 昂太
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 神田 竜浩
日 時 : 2016年7月2日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
弓の弦を叩いて出した音に合わせ、祭文や神歌を唱えて神を祀る形式は、「神弓祭」「弓神楽」と呼ばれ、広島県備北地方(庄原市高野町・比和町・西城町、三次市三良坂町、府中市上下町)の神職により伝承されてきた。これらは、「梓弓」の技法を受け継ぐ古風なものとして評価され評価され、牛尾 三千夫、岩田 勝、鈴木 正崇、田地 春江、田中 重雄などにより紹介されていれきている。
広島県下に伝承される「神弓祭」「弓神楽」を比較してみると、かつての郡(社家のつながり)毎に、詞章、儀礼次第、祭場飾り、執行される文脈など、さまざまな点で異なっていることがわかる。しかし、これまでの研究では、自らも伝承者であった上下町井永八幡宮の田中 重雄 宮司が行う「弓神楽」に関心が集まり、北部の神職たちが行う「神弓祭」はあまり注目されてこなかった。
そこで本報告では、報告者が参与観察した庄原市西城町と比和町の事例と、現在伝承者が実際に使用している資料を紹介しながら、二つの事例の共通性と違いを明らかにし、願主の要求に応え何を重視した結果今の姿になったのかを考えていく。それにより、地元の人々にとって、これらの神々を祀ることにどのような意味があるのかを考えることを目的としたい。
《第159回研究例会》
神道花の成立 ― 奥三河にとっての明治維新 ―
発表者 : 矢嶋 正幸
司 会 : 中村 茂子
コメンテーター : 中村 茂子
日 時 : 2016年5月28日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
奥三河地域に伝わる花祭には、いくつかの分類があるが、そのうちの一つに「仏花」と「神道花」に分ける方法がある。「神道花」は、明治の廃仏毀釈をきっかけに、従来の神仏混淆だった花祭を地元の神道者たちの手によって仏教色が排除されたものだとされる。中でも神道花改革の拠点であった中設楽では榊鬼をはじめとする鬼の面の角を切り取ることまでおこなわれた。これらは明治政府の政策に応えたものとして説明されることが多い。しかし史料を丹念に読み解いていくと、神道花改革への下地は明治以前から存在しており、維新がきっかけになって表面化したに過ぎないことが分かる。一例をあげると、神道花改革についての一級史料とされ、早川 孝太郎が主著『花祭』で翻刻紹介している。略されたところには神代文字で呪文が書かれており、平田国学は近世後期から吉田宿の神職・羽田野敬雄の門弟を中心にして奥三河でも浸透していた。本報告では、「神道花」への改革がどうしておこなわれたのか。神仏分離政策といった中央からではなく、地元の改革者たちの視点から考えていきたい。
《第158回研究例会》
第6回 修士論文・卒業論文発表大会
日 時 : 2016年3月5日(土)午後1時~(12時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
プログラム
1.13:00~13:30
卒業論文
●野末 梨花(静岡文化芸術大学)
「現代における農村歌舞伎の機能と社会的効果 ― 雄踏歌舞伎「万人講」の現場から」
2.13:30~14:10
卒業論文
●石坂 俊(成城大学)
「祭礼組織を通した地域社会の再編 ― 品川区小山六丁目の町会と神輿会との関わり ―」
3.14:10~14:40
卒業論文
●下山 貴彦(國學院大学)
「丹生都比売神社の舞楽曼荼羅共伝承の持続と変容、そして再興」
※第6回修論卒論発表大会・下山報告の「発表内容」の変更について
第6回修論卒論発表大会・下山報告は「舞楽曼荼羅にみる神仏関係」を予定していましたが、
発表者の都合によリテーマが変わりました。
《第157回研究例会》
御太々の囃子の分解方法と形式に関する考察
発表者 : 平井 暁子
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 久保田 裕道
日 時 : 2016年1月9日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
※第157回研究例会「発表内容」の変更について
第157回研究例会は「神楽とは:娯楽?それとも儀礼?」を予定していましたが、
発表者の都合によリテーマなどが急遽変更となりました。
《第156回研究例会》
剣鉾調査の成果と課題
発表者 : 福持 昌之
司 会 : 中村 茂子
コメンテーター : 福原 敏男
日 時 : 2015年9月26日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
京都では、御霊信仰と深くかかわって鉾の祭りが発展してきたといわれている。その代表例は、祇園祭の山鉾で、神社側の神輿に対して、氏子地域の一部が、町単位で豪華絢爛な山鉾を仕立て、巡行させる。祇園祭は下京を氏子とする祭であるが、上京では御霊祭がそれに相当する重要な祭りであり、鉾町によって剣鉾を巡行させてきた。現在、京都市内の約50の春祭り、もしくは秋祭りで剣鉾が登場し、現存する剣鉾の数は三百基を超える。剣鉾は、1970年代に出雲路 敬直 氏が「長い棹の上に鉾先(剣・剣先)をつけ、鉾先の根元には金属板を透かした節をつけ、鈴を吊り、吹散という長い比礼を垂らしたもので、その長さは二十尺に達する」と説明しているが、その特徴の最たるものは、真鍮製で薄く延ばされ、先端が菱形に広がっている剣である。
本発表では、平成22年から25年にかけて京都市が中心になって実施した剣鉾の調査事業の成果を紹介するとともに、その後の研究動向、さらには今後の展望についても触れたい。
《第155回研究例会》
傘鉾としての『髭籠』 ― 折口信夫の見たもの ―
発表者 : 福原 敏男
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 西岡 陽子
日 時 : 2015年7月4日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
「髭籠の話」など約百年前の一連の折口依代論において、紀州粉河祭だんじりと大阪だいがくの部分造形「髭籠」が原点となった。原稿の粉河祭「髭籠」は民俗語彙となっているが、元は「依代」と同様に、折口命名である可能性が高い。平安期より供物・贈答品容れの髭籠はあるが、上記祭礼の「髭籠」は放射状の傘部分を言い、だいがくでは「編み残し竹」のイメージすらなく、両者とも傘下の肝心の容器、「籠」部分がない。客観的にみると形態は傘鉾とその上部分である。折口は、明治後期に見た祭礼飾りを容れ物の髭籠が装飾化した変容の結果「籠」部分が失われたと見、それを依代と解した。本発表では「始原の供物容れ」から「現行の傘鉾」へ変容したとは想像しない。枝垂れ竹(粉河の餅花)や傘の骨部分(だいがく)の下には球形の太陽神の形代があったとは想像しない。その変遷を、一人捧持の傘鉾が風流化し、大型化した結果、台に乗せて舁いたり(だいがく)、四輪曳山の上に乗せて曳いた(粉河)ものと推定する。
《第154回研究例会》
風流獅子舞の発展史 ― シシマイの斉一と差異に注目して ―
発表者 : 伊藤 純
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 中村 茂子
日 時 : 2015年5月30日(土)午後2時~(午後1時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
発表要旨
一人立ちの獅子舞は関東甲信越地方から東北・北海道南部まで広く分布している。民俗芸能研究では、おもに関東甲信越地方のものを「三匹獅子舞」、東北地方のものを「鹿踊」として捉えられてきた。近年では飯塚 好『三頭立て獅子舞』(2013年)や菊地 和博『シシ踊り』(2012年)が刊行され、フィールドワークによる資料に基づいて、多様な芸態や地域社会における機能が論じられている。しかし、地域ごとの独自性が強調されている一方で、それぞれの斉一性や共通性に対する視線が後退してしまっている。山路 興造「三匹獅子舞の成立」(1986年)などで論じた、絵画資料を基にした芸能史との整合性を問うことが待たれる。
本発表では、唄や演目・楽器・書承を広く共有するこれらの芸能を風流獅子舞という緩やかな定義に位置づけ直し、その斉一と差異から伝播/伝承/展開の構造を読み解きたい。中央と地方の二元論を舞台にする単系的伝播論と地方発生論に依拠することなく、史資料を往復し、地域社会に獅子が定着することの意味を考えていきたい。
《第153回研究例会》
第5回 修士論文・卒業論文発表大会
日 時 : 2015年3月7日(土)午後1時~(12時30分開場)
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階318教室
プログラム
【第1部】
1.13:00~13:25
卒業論文
●落合 彩夏(成城大学文芸学部)
「民俗芸能の継承における「地域」の重層性とその変化
― 有東木盆踊りの事例を中心に ―」
2.13:30~13:55
卒業論文
●東出 紘明(國學院大學文学部日本文学科)
「北海道移民の民俗学的研究 ― 沼田町、津沢の「夜高あんどん」の比較 ―」
【第2部】
3.14:10~14:50
修士論文
●安達 雄馬(武蔵大学大学院人文科学研究科)
「信州雨宮御神事の歴史民俗学的研究」
4.15:00~15:40
修士論文
●甲斐 祐貴(國學院大学大学院)
「宮崎県・椎葉神楽の研究」
5.15:50~16:30
修士論文
●菊田 祥子(慶應義塾大学大学院社会学研究科)
「都市祭礼から見た地域社会の変化と動態 ― 成田祇園祭を事例として ―」
《第152回研究例会》
「民俗芸能学会福島調査団」調査結果の概要
発表者 : 懸田 弘訓(福島調査団長)
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : なし
日 時 : 平成27年1月10日(土)午後2時~4時50分
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
発表要旨
民俗芸能学会福島調査団(以下、調査団)は平成23から25年度の3ヶ年にわたり、文化庁補助を受けて「福島県域の無形の民俗文化財被災調査」を実施した。調査は東日本大震災の被害、さらに東京電力福島第1原子力発電所事故により甚大な被害を受けた福島県浜通り地方13市町村で伝承されてきた祭礼行事や民俗芸能などを中心に行った。それらの現状と今後の伝承意欲や支援要望などを確認し、無形の民俗文化財の保存継承に資することが目的である。
調査は伝承者からの聞き取りによった。普通なら祭礼日などに伝承地で行うことだが、まず伝承者の避難先や連絡先の把握が困難を極めた。県市町村の文化財担当者は、調査に理解を示し協力的であったが、急務の震災対策に忙殺され、また個人情報保護の観点から、避難先情報などを得ることはできなかった。
ともあれ3ヶ年の調査で、150余りの伝承について現状や伝承意欲、支援要望などを確認することができた。多くの伝承者は、地域の民俗芸能の復興に意欲的であった。人々は、各地に分散して避難しているからこそ、民俗芸能が、地域の人々の心の支えになると感じていた。伝承者のそのような復興意欲に対して、平成24年度から、民俗芸能等の用具の新調や修理事業を、文化庁や福島県の補助を得て実施することができた。
今回の調査によって、あらためて地域で伝承されてきた祭礼や民俗芸能などが、地域の人々を相互に結びつけ、地域としてのまとまりに非常に大きな役割を果たしていることを再確認することができた。このたびの調査団による被災状況調査が、今後の地域再生の一助となることを期待したい。
《第151回研究例会》
椎葉・米良・諸塚神楽、四国本川神楽と照葉樹林
発表者 : 増田 和彦
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 久保田 裕道
日 時 : 平成26年9月6日(土)午後2時~4時50分
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
発表要旨
ミャンマー北部を中心とする東南アジア北部山地~雲南高地~江南山地、そして朝鮮半島南部から西日本に達するシイ・タブ・クス・ツバキなど照葉樹林の森は、この地帯共通の生活文化要素(照葉樹林文化)を示している。西日本の照葉樹林文化残存地に、熊野伊勢を発祥の地とする修験文化である「神楽」が、照葉樹林文化を複演出し転移・反映することにより形成された。椎葉・米良・諸塚など日向山地では、「照葉樹林神楽」とよぶべき特色ある演目が群を成し残存する(「日向山地照葉樹林神楽群」)。
照葉樹林では、狩猟、焼畑による根菜・雑穀栽培から適地では焼畑陸稲・水田稲作にウエートを移すが、日向山地での稲作の一般化はだいぶあととなる。
照葉樹林の神楽には、狩猟や焼畑による根菜・雑穀栽培文化の反映がある。
・狩にかかわる演目 ― 祭に先立ち行われた狩による「猪の頭」などの奉納。模擬狩「シシトギリ」米良村所八幡神楽、小川神楽、銀鏡神楽。狩の演技。カクラの神々の登場 ― 米良木之又神楽。
・雑穀・大豆・小豆を撒いたり供えたりする神楽 ― 椎葉向山日当神楽「みくま」、椎葉向山日添神楽「朝神楽」、椎葉尾前神楽「月日の舞」、椎葉不土野神楽「福の種蒔き」椎葉栂尾神楽。豆腐を献げたり演者の食べ物にする。― 椎葉向山日当神楽・米良銀鏡神楽・米良尾八重神楽。献ずる猪の肉を調理する「板起こし」に、猪の肉に代えて豆腐を用いる神楽 ― 椎葉下福良地区仲塔・木浦・胡摩山・奥村。椎葉不土野地区の古の枝尾・不土野。四国本川神楽、初穂よせ・やたの舞・神送りではヒエ、大豆、小豆。
・演技中に里芋を配ったり献げたりする神楽 ― 椎葉仲塔、奥村、胡摩山神楽「稲荷」、「尾八重神楽」(西都市尾八重)「八子舞」。「盤石(ばんせき)」では、籠を背負った老婆役が焼畑作物も並列して豊穣を予祝する。トウキビを持って舞う神楽—椎葉奥村、胡摩山の神楽「年の神」、椎葉木浦神楽「火の神舞」
この地では、山岳を司る荒神を導き役が案内し、荒神は山の神の持物である山岳を許可なく使用したり柴を採るころを咎める問答付き神楽がみられ、これらは全国の事例からも古い形式の神楽であることが確認できる。「山岳を司る存在」の国際比較も試みたい。
《第150回研究例会》
「民俗芸能学会福島調査団」調査結果の概要
発表者 : 懸田 弘訓(福島調査団長)
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : なし
日 時 : 平成26年7月12日(土)午後2時~4時50分
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
※台風8号による影響・被害が予想されたため、延期となりました。
平成27年1月10日(土)の
第152回研究例会
にて改めて開催の予定です。
《第149回研究例会》
近世田楽法師の世襲と退転 ― 遊興芸能から神事芸能への変容との関連から ―
発表者 : 吉村 旭輝(和歌山大学)
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 山路 興造
日 時 : 平成26年5月31日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
発表要旨
猿楽や歌舞伎、また茶道など専業の芸能者による芸能は家や流派、また名跡や屋号など、現在でも世襲によって継承されていることが多い。しかし、これらの芸能は、技芸が洗練されると時の権力者との結びつき、盛衰や時流の流行り廃りなどの影響を受ける芸能も少なくない。このことは芸能の継承にこれまで多大な影響を与えてきたといえる。
世襲の歴史のなかでとりあげなければならない芸能のひとつに、職業田楽法師による田楽がある。田楽はビンザサラと太鼓を打ち鳴らして踊る田楽躍を基本芸とし、院政期には都鄙を中心に高足や刀玉といった奇抜な曲芸を行ない、さらに室町期には能をも吸収して、猿楽と技芸においてしのぎを削っていた芸能である。この田楽は、院政期から南北朝期にかけて、これらの技芸によって都鄙を中心に大流行した芸能であった。
しかし、田楽のライバルであった猿楽の観阿弥、世阿弥親子を時の将軍 足利 義満が庇護したことなどが原因となって、室町期以降、田楽は衰退の一途をたどっていった。このころ、多くの技芸も失われたと想定できる。ただし世襲の踏襲だけは、江戸後期まで泉原氏、坂本氏、藤田氏の三家によって継続されていた。 なぜ田楽は多くの技芸が失われたにもかかわらず、世襲を継続することができたのであろうか。本発表ではこの田楽での問題を明らかにする。そのうえで、この考察をとおして専業芸能者の世襲と技芸とがどのような連関をもっているのかを現代的な問題も含めて明らかにしていく。
《第148回研究例会》
第4回 修士論文・卒業論文発表大会
日 時 : 平成26年3月8日(土)午後1時~
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム
(早稲田キャンパス6号館3階318教室)
プログラム
【第1部】
1.13:00~13:20
卒業論文(発表15分、質疑5分)
●原田 萌(國學院大学)
「大宮住吉神楽の現在と課題」
【第2部】
2.13:30~14:10
修士論文(発表30分、質疑10分)
●鈴木 昂大(総合研究大学院大学日本歴史研究専攻)
「天竜川流域におけるテンパク信仰の一側面 ― 護法神としてのテンパク ―」
《第147回研究例会》
大念仏・六斎念仏・双盤念仏 ― 民間念仏の系譜 ―
発表者 : 坂本 要
司 会 : 未定
コメンテーター : 山路 興造
日 時 : 平成26年1月25日(土)午後2時~4時30分
会 場 : 早稲田大学戸山キャンパス36号館5階581教室
発表要旨
民間念仏の定義は僧侶が主催しない在俗の人でのみ行う念仏を想定したものである。歴史的に見て念仏講の結成や伝播には半僧半俗の聖や堂守りの僧が考えられ、それが音曲的な念仏や芸能化された念仏に発展したとされる。民間念仏の研究は佛教大学民間念仏研究会がまとめた1956年刊の『民間念仏信仰の研究資料編』によって全国的な分布を明らかにした。その時の分類は百万遍念仏・双盤念仏・六斎念仏・念仏踊り・大念仏である。その後 五来 重の「融通念仏・大念仏および六斎念仏」1957年・「仏教民俗学論攷」1962年(『著作集第一巻』)によって、これらの念仏は順序付けられ体系付けられた。簡単に述べると大念仏といわれた融通念仏が踊りを伴うなど雑念仏化し、その反動として持斎の六斎念仏が高野山で発生し、それがさらに鉦講という双盤念仏や踊り念仏になっていくとされた。五来論文から約半世紀、各分野での調査研究も徐々に進み、幾つかの点で再考の必要も出てきている。今回は大念仏と融通念仏・双盤念仏の発生というテーマで民間念仏の系譜をたどり所見を述べたい。
《第145回研究例会》
熊野三山の芸能
発表者 : 山路 興造
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : なし
日 時 : 平成25年7月6日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第144回研究例会》
囃子の型からみる近代 ― 芸能の近代的展開と楽譜・個人・教育 ―
発表者 : 塚原 伸治
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 西郷 由布子
日 時 : 平成25年5月25日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第143回研究例会》
第3回 修士論文・卒業論文発表大会
日 時 : 平成25年3月9日(土)午後1時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム
(早稲田キャンパス6号館3階318教室)
プログラム
【第1部】
1.13:00~13:25
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●酒井 美帆(國學院大学)
「祭囃子の研究 ― 我孫子市布佐を中心として ―」
2.13:25~13:50
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●小圷 尚美(成城大学)
「郷土芸能伝承者の意識の変化:新城囃子曲持伝承者の世代差に注目して」
3.13:50~14:15
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●久志本 晃妃(成城大学)
「現代の悪態祭りの機能 ― 茨城県笠間市愛宕神社における事例を中心に ―」
≪休憩15分≫
【第2部】
4.14:30~15:00
修士論文(発表30分、質疑10分)
●星野 岳義(早稲田大学大学院社会科学研究科)
「菅江真澄の都鄙認識 ― 附 松前神楽予備調査報告 ―」
5.15:30~16:00
修士論文(発表30分、質疑10分)
●坂井 美香(神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士課程)
「近世覗きからくりは何を見せたか -カラクリを覗く―」
《第142回研究例会》
シシ踊りの鎮魂供養の機能
発表者 : 菊池 和博
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 星野 紘
日 時 : 平成25年1月26日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第141回研究例会》
秋田県鹿角市「花輪ばやし」の伝承の特徴 ― 組織の変遷と芸能の伝承 ―
発表者 : 丸谷 仁美・高久 舞
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 入江 宣子
日 時 : 平成24年9月29日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
※第141回研究例会の「発表内容」について
この発表は、平成22年9月25日の第131回研究例会に予定されていましたが
都合により延期されていたものです。
《第140回研究例会》
「能を舞う農民」の発見と展開 ― 黒川能と真壁仁の思想と実践 ―
発表者 : 石山 祥子
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 西嶋 一泰
日 時 : 平成24年7月7日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第139回研究例会》
鳶職組織と木遣唄伝承
発表者 : 西井 美雪
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 小野寺 節子
日 時 : 平成24年5月26日(土)午後1時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第138回研究例会》
第2回 修士論文・卒業論文発表大会
日 時 : 平成24年3月10日(土)午後1時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム
(早稲田キャンパス6号館3階318教室/地下鉄東西線早稲田駅下車)
プログラム
【第1部】
1.13:00~13:25
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●北澤 ゆかり(國學院大学)
「川崎市多摩区菅の獅子舞」
2.13:25~13:50
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●渡辺 かおる(成城大学)
「「小学唱歌集」の編集方針の変化 ― 文部省とお雇い外国人 ―」
≪休憩 10分≫
【第2部】
3.13:55~14:35
修士論文(発表30分、質疑10分)
●舘野 太朗(つくば大学大学院人文社会科学研究科)
「「郷土芸能」の生成 ― 神奈川県における地芝居の「復活」を例に ―」
4.14:35~15:15
修士論文(発表30分、質疑10分)
●沼田 愛(東北学院大学大学院文学研究科)
「民俗芸能の自画像と他者像 ― 宮城県秋保町長袋の田植踊を中心に ―」
5.15:15~15:55
修士論文(発表30分、質疑10分)
●古澤 加奈子(日本大学大学院国際関係研究科)
「新民謡の民謡性と歌謡性 ― 楽曲の分析を中心に ―」
≪休憩 10分≫
【第3部】
6.15:55~16:20
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●千葉 暁子(盛岡大学)
「権現舞の自己分散化 ― 山伏神楽における演目の成立と展開 ―」
《第137回研究例会》
早池峰岳神楽と弟子神楽の師弟構造
発表者 : 中島 奈津子
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 神田 より子
日 時 : 平成24年1月28日(土)午後1時~4時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第136回研究例会》
東日本大震災被災地の民俗文化財報告会
日 時 :平成23年9月24日(土)午後1時~5時
会 場 :早稲田大学戸山キャンパス36号館581教室
※民俗芸能学会・日本民俗音楽学会 共催
※儀禮文化学会 協力
報告1 : 岩手 阿部 武司
報告2 : 福島 懸田 弘訓
報告3 : 宮城 小谷 竜介
報告4 : 支援 橋本 裕之
《第135回研究例会》
プンムルクッの儀礼・信仰・思想的要素の考察 ― 韓国全羅道を中心に ―
発表者 : 神野 知恵
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 野村 伸一
日 時 : 平成23年7月2日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学戸山キャンパス 演劇映像実習室
《第134回研究例会》
継承と伝承 ― 西浦田楽の能衆を例として ―
発表者 : 吉川 祐子
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 俵木 悟
日 時 : 平成23年5月28日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第133回研究例会》
修士論文・卒業論文発表大会
日 時 : 平成23年3月26日(土)12時15分~16時30分
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
プログラム
【第1部】
1.12:15~13:40
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●敬和学園大学Aチーム
「新発田祭りにおける台輪運行と職人町の獅子舞」
2.12:40~13:05
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●敬和学園大学Bチーム
「新発田祭りにおける台輪運行と職人町の獅子舞」
3.13:10~13:35
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●鈴木 昂太(慶應義塾大学文学部)
「現代的な聖なるものの在り方 ― 2010年度御柱を通して ―」
4.13:35~14:00
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●黒田 迪子(國學院大学文学部)
「俄方丈と死者の問答 ― 秩父・葬式祭り ―」
5.14:00~14:25
卒業論文(発表20分、質疑5分)
●林 勇希(日本大学国際関係学部)
「美濃国一宮 南宮大社~南宮大社の概要と祭事~」
【第2部】
6.14:30~15:10
修士論文(発表30分、質疑10分)
●大久保 実香(東京大学大学院農学生命科学研究科)
「過疎地域における伝統行事の担い手としての他出者」
7.15:10~15:50
修士論文(発表30分、質疑10分)
●鈴木 志乃(國學院大学大学院文学研究科)
「山車の伝播と受容 ― 仙台祭を中心に ―」
8.15:50~16:30
修士論文(発表30分、質疑10分)
●西嶋 一泰(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
「原太郎・わらび座の実践−民衆・伝統をめぐる民俗芸能の<現場>」
《第132回研究例会》
習合神道神事舞太夫家と神事舞太夫・梓神子
発表者 : 中野 洋平
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 林 淳
日 時 : 平成23年1月22日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学早稲田キャンパス26号館(大隈記念タワー)3階302号教室
《第131回研究例会》
八王子まつりの構成と市民意識
発表者 : 高久 舞
司 会 : 神田より子
コメンテーター : 福原 敏男
日 時 : 平成22年9月25日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
※第131回研究例会「発表内容」の変更について
第131回研究例会は「『花輪ばやし』の特質 ― 集団伝承と個人伝承 ―」を予定
していましたが、発表者の都合によリテーマなどが変わりました。
《第130回研究例会》
民俗芸能をめぐる「演」と「縁」― 熊本県阿蘇郡高森町の俄を事例として ―
発表者 : 松田 薫
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 宮田 繁幸
日 時 : 平成22年7月10日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第129回研究例会》
花街における芸の継承 ― 京都北野上七軒の北野をどりを中心に ―
発表者 : 中原 逸郎
司 会 : 鈴木 正崇
コメンテーター : 浅原 須美
日 時 : 平成22年5月29日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学西早稲田キャンパス 34号館4階453号教室
《第128回研究例会》
豊前神楽 ― その紹介を通じて神楽組の問題を考える ―
発表者 : 山路 興造
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 茂木 栄
日 時 : 平成22年3月27日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第127回研究例会》
外部の演者から考える民俗芸能学 ― 大川平荒馬踊りを事例に ―
発表者 : 西嶋 一泰
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 大石 泰夫
日 時 : 平成22年1月23日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第126回研究例会》
山伏神楽再考
発表者 : 神田 より子・岸 昌一
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 松尾 恒一
日 時 : 平成21年9月26日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第125回研究例会》
御船歌の伝承と伝習
発表者 : 小西 沙和
司 会 : 俵木 悟
コメンテーター : 小野寺 節子
日 時 : 平成21年7月4日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第124回研究例会》
関東地方の神楽囃子「三つ拍子」と「御反閇」(反閇)について
発表者 : 森林 憲史
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 髙山 茂
日 時 : 平成21年5月30日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第123回研究例会》
日本民謡における地域性
発表者 : 長野 隆之
司 会 : 星野 紘
コメンテーター : 小島 美子
日 時 : 平成21年3月28日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
《第122回研究例会》
森口多里の思想と方法 ― 民俗芸能研究を中心として
発表者 : 橋本 裕之(盛岡大学教授)
司 会 : 神田 より子
コメンテーター : 秋山 真一
日 時 : 平成21年1月24日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階
例会報告
第122回研究例会は平成19年度本田安次賞に輝いた橋本 裕之(盛岡大学文学部日本文学科教授)が、岩手県の民俗芸能を精力的に調査して、その結果を『岩手県民俗芸能誌』(錦正社、1971年12月)として集大成した。
森口 多里(1892-1984)の民俗芸能研究を批判的に検討する試みは、今日まで全く手がつけられていなかった。今回の報告は、森口 多里 研究を深化させるきっかけとして新たな課題を提起しようというものであった。 『近代知識人の西洋と近代-森口 多里の世界-』(同成社、2007年)の著者、秋山 真一をコメンテーターに迎えて熱心な討議があり、久しぶりの盛会を極めた研究例会であった。
《第121回研究例会》
民俗芸能を活用した町づくり ― 備中神楽の継承の一形態 ―
発表者 : 川野 裕一郎(慶応義塾大学大学院)
司 会 : 星野 紘(民俗芸能学会理事)
コメンテーター : 星野 紘
日 時 : 平成20年9月27日(土)午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学演劇博物館レクチャールーム6号館3階