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平成17年度大会 報告 [2006/04/01 更新]
研究発表要旨
「獅子踊りと鎮魂供養」 菊地 和博
東北地方では、獅子踊り(鹿踊り)がお盆に墓地で踊ったり、家々を回って新仏や先祖の遺影の前で踊るなど、鎮魂供養の目的で踊る民俗現象がしばしば見受けられる。
その地域をあげれば、青森県弘前市や南津軽郡、秋田県能代市や仙北郡、岩手県江刺市や遠野市・岩泉町・川井村、宮城県気仙沼市、山形県寒河江市などである。3月の春彼岸に行っている会津彼岸獅子のある福島県会津若松市もそれに当てはまると考えられる。これ以外にも、記録上もっとたくさんあったことが確認できる。一方、関東地方に多い三頭の獅子踊り(三匹獅子舞)には、悪魔払いや雨乞い、疫病退散などを目的とするものが実に多い。ただし、栃木県塩谷町船生の獅子踊りが「弔い獅子」といわれて、新仏供養を行っていることも留意したい。
研究発表では、東北地方の獅子踊りに、鎮魂供養の側面が強く現れている実態を示し、その特異性や背景を東日本の獅子踊り全体のなかで考えてみたい。
「「山の宗教」と京都の大念仏との関わりについて
― 特に、本山派修験と地蔵信仰・歌う念仏を中心として ―」 大森 惠子
京都では、壬生大念仏狂言や嵯峨大念仏狂言・焔魔堂狂言・神泉苑狂言などの民俗芸能が演じられる。これら民俗芸能のそれぞれの芸態や成立過程などは、すでに先学諸氏によって詳細に論証されている。しかし、いまだ「山の宗教」と「詠唱念仏」に焦点を当てて、前出の大念仏や大念仏狂言の成立過程に関して論じたものはない。
京都は愛宕山や稲荷山・比叡山などの山岳霊場に囲まれ、人々は祖先の霊を弔うとともに、豊作や招福、火防などの祈願を行なってきたのである。古来、山の宗教と人々の生活は強い絆で結ばれていたと考えられる。
本発表では、史料と民俗事例を中心に取り上げて、愛宕山の信仰が嵯峨大念仏や壬生大念仏の成立過程において及ぼした影響と、本山派修験者が地蔵尊の信仰と念仏を民間に流布していったことも、あわせて述べてみたい。
「獅子舞の原型とその変容」 山路 興造
わが国の民俗芸能に大きな比重を占める獅子舞については、これまでも多くの研究がなされているが、この芸能の特性を考えるとき、その源流を見極めておくことは重要な視点である。まず、大陸から移入された時の演出がどのようなものであり、それがどのように展開し、各地の風土のなかで民俗芸能として定着していくのかを見定めねばならないわけである。そのために古代から中世前期における獅子舞(師子舞)の姿を文献や絵画資料から検証しておきたいと考える。
シンポジウム
テーマ《民俗芸能の「地域性」を考える》
基調講演
「土佐の芸能から見た四国芸能の伝播について」 高木 啓夫
日本本州は富士山に象徴される山岳地帯が縦断しており、その裾野に人々の営みが生成展開されておりますが、その小さな国が四国であります。本州の地形の縮図のようなものでありますが、縦断する四国山地の南面にあるのは土佐国一国だけであることに大きな特徴があります。
古代官道も石槌山、剣山に象徴される四国山地を避けて、四国西部宇和島から高知県宿毛市に入り、そして高知平野に至ったとする説が有力視されているほどであります。このように一つの国の背後に、ひとつの山地が峻崖をなすばかりでなく、延長685㎞にも及ぶその南面は黒潮の波涛が押し寄せている。海と山とに隔絶された土佐一国である。遍路は海辺を行き、山伏修験者は山地を行き、商人は山地を越え行く。芸能を含めた民俗文化は人の通る道筋に伝えられ流れ、あるいは定着して行く。
流通、交易の盛んな瀬戸内海側では、その豊富な経済力に裏付けされて祭り・芸能は華美なものが多い。これに対して、富を持たぬ土佐にあっては、華麗なる祭り・芸能の展開に乏しい。
しかしながら、四国山中には徳島祖谷の神代踊り、愛媛新宮の鐘踊りなどがあり、これらは香川滝宮の念仏踊りにも脈絡するものでもある。これらは大扇、長刀、太刀、鉦、太鼓、鼓などの複合的な芸能であり、これら周辺には太鼓と扇、鉦と扇といったいわば単一性の芸能が散在する。土佐の芸能もこれに類する。これらをひとつのものの変容とみるべきか、複合とみるべきか。四国の果て土佐幡多地方の素朴な芸能は原型なのか、複合芸能の変容の果ての芸能なのか。
パネラー発題要旨
「土佐の「花取踊り」の生成と流伝」 井出 幸男
テーマである「地域性」については、まずそれぞれの地域の特質・特性を抽出しその意味を考えるという課題があることはもちろんであるが、その際、地域の独自性・特殊性の指摘に終始するのではなく、さらに進んでその「固有・特殊」の中に「普遍」に通じるものを見出し、中央ではなく地域の視点から、中央からは見えない民俗芸能史全体の「普遍」「根幹」に通じるものを見通すことが大切であると考える。
今回のシンポジウムでは、特に土佐の「花取踊り」を取り上げ、その生成と流伝の様相を探ることから、従来の都中心・文献中心の風流踊り成立史の認識に関わる新たな視点を提示できればと考えている。
題材として取り上げる「花取踊り」は、それが内包する古風な時代性や広範な分布・遺存の様相から、土佐の「地域性」を代表する風流踊りと言ってよい。「花取踊り」を考えることは、土佐の民俗芸能・ことに風流踊りの特質・特性を考えることに通じる。
その生成の地盤(「春山入り」の民俗)の検討からは、風流踊り発生の季節の問題等を、また、流伝の様相(土佐とその周辺以外に、岡山県牛窓町、鹿児島県・長崎県の離島を中心とした諸地点に伝承が確認できる)の検討からは、都(中央)をただ一つの中心とする考え方から脱却する可能性を考えてみたい。
「中央」と「地域」という二つの焦点を拠点とした楕円、或は複眼の発想の提起であり、しかも容易には捉えきれない「地域」を見ようとする視点がより深い史的認識へ通じるのではないかという考えである。
「芸能の場における「地域観」 ― 愛媛県越智郡の獅子舞を例に ―」 高嶋 賢二
民俗研究における地域性論については、これまで大きく二つのとらえ方があったと思われる。すなわち、ひとつは特定ないし複数の民俗事象について地域ごとにあらわれる差異−地域差を「地域性」とするもの、もうひとつは、ある地域内における環境や歴史、民俗事象の特徴などの様々な要素から導き出されると考えられる特質を、その地域の「地域性」とするとらえ方である。
一方で民俗芸能研究においては、橋本 裕之 氏の論考などに代表されるように、伝播で語られてしまう芸能をそもそも「地域性」論にふさわしくない対象とし、地域を通り越して、演じる個の領域でとらえようとする一連の研究があった。
本発表では、愛媛県越智郡の獅子舞を対象として、芸能が演じられる場において、個々に意識されている「地域」について考えてみたい。芸能の場における「地域観」は、いまなお民俗芸能研究に「地域性」を意識させる背景を考えさせるものとなろう。
「讃岐の雨乞い踊りと浄土真宗」 水野 一典
民俗芸能の伝承については、その芸能が伝承されている土地柄ともいうものも大いに関係しているのではないだろうか。
四国に伝承される念仏踊や小歌踊はその多くが盆や祭りの芸能として行なわれるのに対し、讃岐のそれはほとんどが雨乞いの踊りとして行なわれており、際立った特色を示している。念仏踊などは雨乞いだけでなく、毎年の奉納行事として時期を定めて行なわれており、また新仏供養に踊られることもあって、必ずしも雨乞いだけの踊りではないのだが、一般的には念仏踊イコール雨乞いと認識されているのは、そこに讃岐の土地柄(地域性)が反映されているのであろう。
讃岐の地域性といえば全国有数の少雨地帯ということがあげられるが、もう一つ地域の宗旨の分布と伝承の差異もあげられよう。讃岐の念仏踊の伝承地と宗旨の分布を重ねてみると、雨乞い踊とされているのは浄土真宗地帯であり、真言宗地域である島しょう部では仏供養の踊りとされている。
このことについては今までほとんどとりあげられることがなかった。今回は伝承地の宗旨の分布とそれによって変化してくる芸能の持つ意味(目的)の違いについて考えてみたい。
以上
お問い合わせ先
- 民俗芸能学会事務局(毎週火曜日 午後1時~4時)
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