平成27年度大会 報告 [2016/04/01 更新]
平成27年度民俗芸能学会大会は、去る10月30日(金)~11月1日(日)に岩手県気仙郡住田町農林会館ホールを本会場として開催された。また、本大会は住田町町制60周年記念事業の一環として住田町、住田町教育委員会、一般社団法人ケセンきらめき大学との共催、岩手県教育委員会、大船渡市教育委員会、陸前高田市教育委員会の後援、住田町観光協会、住田町郷土芸能団体連絡協議会、気仙伝統文化活性化委員会、東海新報社の協力を得て開催された。参加者は延べ106名(内訳 会員32名、ケセンきらめき大学8名、老人大学60名、その他16名)
1日目【10月30日(金)】
東北新幹線一ノ関駅でケセンきらめき大学・佐藤公精氏の出迎えをうけ、貸し切りバスで移動、気仙沼プラザホテルで昼食後見学行事
見学行事
一関から貸し切りバスにて移動、昼食後、震災語り部・新沼岳志氏の案内で陸前高田「奇跡の一本松」見学、高田鎮魂の碑礼拝と津波の爪痕を残す現場見学、「復興情報館」にて状況の経過と現状の説明を受けた。震災避難所である高台に位置した大船渡市本増寺へ移動、住職の説明で大船渡港、寺内を見学の後、夕食後、バス移動で大船渡市末崎町神坂の熊野神社宵宮祭に奉納された周辺神職による「気仙法印神楽」(8年ぶりの奉納・6演目)を見学、21時前に宿舎「大船渡プラザホテル」着、このホテルも被災していた。
2日目【10月31日(土)】
大会実行委員長の菊池 宏 住田町教育長による開会の挨拶があり、続いて研究発表が行なわれた。
研究発表
鈴木 昂太
氏(司会は俵木 悟 理事)が「比婆荒神神楽の場と芸」と題していたが、時間の関係で「場」を中心にした発表となった。比婆荒神神楽の式年祭は、昭和初期まで田の中に設置した「神殿」で舞われたが、その後民家で実施されるようになった。しかし、大金がかかり準備も大変であることから、現在は公民館や使用されてない学校などが祭場となり、そのことによってかつて重要な意味を持っていたものが変化し、伝承が消える場合もある反面、神事や舞の関係者と観客の出入り口を別ける伝承を残していたりする。従来の研究とは違う視点で、一般の観客にとっての神楽が、どのような姿でとらえられているかを追求したいという。
中村 光江
氏(司会は小向 裕明 会員)が「黒森神楽の巡行」と題して、江戸時代中期に始まったと考えられる巡行(北廻り・南廻り)には文書が残されているが、宿で神楽を舞った記録はない。現在巡行は正月から始まっているが、かつては秋の収穫後から始まり、霜月の時期が巡行本来の時期で、新しい歳の予祝の意味を持っていた。現在の活動は宿巡行、宮古市内神社奉納、各地芸能祭出演など、年間70回ほど演じている。神楽衆は10代から70代までバランスよく13名である。神楽衆の宿も時代が大きく変化する渦中で、徐々に件数が増加しつつあるという。
千田 信男
氏(司会は小向 裕明 会員)が「陸前高田の被災と芸能」と題して、3.11の被災前年に郷土芸能連絡協議会の仕事をするようになり、イベントなどに出演する団体を推薦すればよいと思っていたが、被災後の状況を把握するのに苦労した。8町中7町が被災して、郷土芸能伝承者も多く亡くなった。被災地域外の山手でも沿岸部で仕事をしていた若い人の多くが命を落とした。沿岸部では現在でも仮設住宅で生活し、今後の見通しが立たない多くの人々がいる。そんな時、偶然出演が決まった「剣舞」が気持ちを救ってくれた。郷土芸能の復活が人々の心を繋ぎ、地域の絆の原点となった。震災前に伝承されていた芸能をよみがえらせ、後世に伝えていきたい。
佐々木 喜之
氏(司会は小向 裕明 会員)が「住田の文化と芸能」と題して、映像を駆使しながら紹介した。彼自身が何種目もの民俗芸能伝承者である氏は、中学生時代に経験した念仏剣舞復活時に地元のお年寄りから感激され、その時に二度と絶やしてはならないと思った経験談などを交え、信じられないほど多数伝承されている住田町の民俗芸能解説を行なった。最後の動画では、11月1日の「住田町芸能祭り」に出演できなかった民俗芸能を中心に取り上げ、住田町の中堅を担う民俗芸能伝承者としての心遣いを見せた発表であった。
シンポジウム
住田町長(代理 横沢 孝 氏)挨拶で始まった。
映像による基調講演
「被災から伝承へ」阿部 武司 氏(東北文化財映像研究所所長)
3.11の災害は、沿岸住民の命と暮らしを奪った。しかし、4~5ヶ月後には避難所などで民俗芸能が演じられた。内陸部芸能もチャリティー公演等の支援を始め、全国からの種々な支援は、沿岸芸能を勇気づけ弾みを付けた。震災後4年7ヶ月を経過した現在、完全復活して支援を始めた団体もあるが、伝承者の多くは日常生活にも困難な状況にある。しかし、祭りやイベントに万難を排して集まってくる理由は、そこに生きている証を認識するためである。被災地の民俗芸能は支援を受け、それを活かせる人の存在によって初めて伝承が可能になる。今の勢いを継続できるか否かが今後の課題となる。
パネル・ディスカッション
「震災から五年─被災地芸能の現状と展望」
(司会:小島 美子 国立歴史民俗博物館名誉教授・民俗芸能学会名誉会員)
古水 力(浦浜民俗芸能伝承館館長)
氏は、大きな被害を受けた大船渡市浦浜の民俗芸能伝承者であり、全てを失った中で犠牲者の「百か日供養念仏剣舞」を実行した。現在までに各方面からの支援等によって装束・道具類は整備されたが、保管・稽古場は本来の活動までに復帰できていない。民俗芸能が被災地住民の支えとなり重要性が再認識され、地域復興の最中である今だからこそ、新しい町づくりの拠点として「民俗芸能伝承館」の早期完成を実現させ、地域住民全てに開かれた活用が可能となるよう希望している。
久保田 裕道(東京文化財研究所無形民俗文化財研究室長)
氏は、被災各地で民俗芸能が復活を遂げることができたのは行政のシステムではなく、伝承者の熱意や個人的つながりを持つ関係者・研究者など個々の活動であり、それが地域復興の最善策であったといえようが、現状では民俗芸能総体の復興が見えにくい。被災地のみならず全国の民俗芸能が、さまざまな危機に直面している現状に対処できるシステムづくりが早急に必要である。
茂木 栄(國學院大学教授)
氏は、東日本大震災後に共同体の絆をつくりだしたのは、神社・祭り・郷土芸能など伝統文化の復活であり、これが復興の力であるという認識が広まった。鎮守の社は自然風土の中で天と地を結ぶ共同体の中心であり、氏子の暮らしと命の安定を支えている。今後の復興は、このような村落構造をいかに復活できるかにかかっている。
基調講演者を含めた4氏の発題後休憩に入り、この間会場からのアンケートを整理し、司会者を中心に活発な討論が行なわれた(質疑応答は省略)。なお、パネラーに予定されていた飯坂 真紀 氏は、都合により不参加となった。
第9回本田安次賞授与式
平成27年度の本田安次賞は該当なし、
本田安次特別賞は
野村 伸一
氏の「東シナ海を取り巻く祭祀芸能の調査・研究」に関わる編著
『東アジア海域文化の生成と展開』
等、一連の研究成果
に対して贈られることとなった。
・受賞者および選定理由の詳細は
こちら
3日目【11月1日(日)】
見学行事
【午前】
貸し切りバスにて宿舎から住田町農林会館へ移動、午前9時より前庭と農林会館大ホールで開催された「住田町町制六十周年記念 すみた芸能まつり」を見学した。様々な芸能と共に演じられた民俗芸能は、「五葉山神社権現舞」「柿内沢鹿踊」「外館甚句」「大股神楽」「五葉念仏剣舞」「外館鹿踊」「大平・梅の木念仏剣舞」「高瀬鹿踊」であり、前庭では大名行列が練り歩いた。また、第21回「すみた産業まつり」が開催され、飲食コーナー、産直コーナー、物販コーナー、キッチンカーなどが賑やかに並び、これらを見学しながら昼食を取った。中央のイベント広場では子供達を対象としたゲームが行なわれていた。
【午後】
「住田町 世田米蔵並」自由散策の参加者は十数名であった。
2時に農林会館前を出発、ケセンきらめき大学・佐藤 公精 氏の案内で約1時間弱の自由散策を行った。旧世田米宿は柳田國男が「世田米は感じの好い町であった」と書き残した碑のある蔵町の景色を観賞しながら進み、気仙三十三観音の十四番札所という瑞川山・満蔵寺を参詣した。現在は無住のため少し荒れた感じはするが、気仙大工の建立という楼門は見上げる者を威圧する。残念ながら観音像を拝観することはできなかったが、大変に満足できた散策であった。
午後3時、貸し切りバスで農林会館前を出発、「水沢江刺」から東北新幹線に乗車。
平成27年度大会を終了した。
以上
お問い合わせ先
- 民俗芸能学会事務局(毎週火曜日 午後1時~4時)
- 〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学演劇博物館内 [地図]
- 電話:03-3208-0325(直通)
- Mail:office[at]minzokugeino.com (* [at] を @ に換えてお送り下さい。)