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令和5年度 静岡大会 報告 [2024/06/04 更新]
令和五年度 民俗芸能学会静岡大会は、久能山東照宮との共催にて、12月9日(土)・10日(日)の2日間、久能山東照宮を中心会場としてオンライン併用で開催された。参加者は、延べ43名(対面参加35名、オンライン参加8名)だった。
1日目【12月9日(土)】
・神社正式参拝
・久能山東照宮博物館見学(11時頃より)
・昼食休憩(12時~12時50分)
・開会挨拶 落合 偉洲・久能山東照宮名誉宮司・大会実行委員長
・講演(13時より)落合 偉洲 名誉宮司
・研究発表(14時10分より)
・本田安次賞授賞式(15時45分より)
・挨拶(16時)民俗芸能学会代表理事・茂木 栄
・懇親会
2日目【12月10日(日)】
・記録映像上映(10時より)
・昼食休憩(13時~14時)
・清沢神楽公演(14時~15時30分)神楽殿にて
・閉会挨拶(15時30分)落合 偉洲
1日目講演要旨
・落合 偉洲 久能山東照宮名誉宮司・久能山東照宮博物館館長
「国宝久能山東照宮と文化財」
平成22年10月15日に開催された文化財審議会の文化財分会は、審議・議決を経て、高木義明文部科学大臣に対して、建造物の国宝1件、重要文化財7件の新たな指定について答申した。 平成22年12月24日付で「久能山東照宮本殿、石の間、拝殿」が国宝に、「神饌所」が重要文化財に指定され、官報に掲載された。国宝指定書及び重要文化財指定書は、平成23年3月2日、静岡市役所にて、小嶋善吉市長より落合偉洲宮司が受け取った。
●久能山東照宮社殿
― 最古の東照宮建築(近世以前・神社建築)
久能山東照宮は、徳川家康公を祀る霊廟として創建され、元和3年(1617年)に建立された本殿、石の間、拝殿は、いわゆる権現造の形式をもつ複合社殿で、中井大和守正清によって造営された。
社殿は、伝統様式である和様を基調とし、複雑な構成になる立面や軒廻りなど巧みにまとめており、細部も整った意匠が施されている。また、要所に彫刻や錺金具などを用いて荘厳化をはかり、江戸幕府草創期における質の高い建築技術や工芸技術を伝承している。
久能山東照宮本殿、石の間、拝殿は、極めて洗練された意匠をもつ権現造社殿であり、江戸幕府における造営組織の草創期において、その礎を築いた中井大和守正清の代表的遺構のひとつとして貴重である。江戸時代を通じて、権現造社殿が全国的に普及する契機となった東照宮建築のうち、最初に建てられた社殿として、わが国の建築史上、深い意義を有する。
●久能山東照宮神饌所
神饌所は、東照宮社殿手前の参道脇に建ち、正保4年(1647年)に建立された。平面は桁行五間、梁間三間、入母屋造、銅瓦葺で、内部は、神饌を調える部屋を2部屋配置しており、渡廊で本殿前面の石の間に接続している。
久能山東照宮は、江戸時代前期に幕府によって建設された質の高い社殿群が保存されており、同時期に建てられた神饌所は、これらの社殿と一体となって境内を構成しており、高い歴史的価値が認定された。
○指定基準 歴史的価値の高いもの
●久能山東照宮文化財指定の経緯
久能山東照宮社殿は、古社寺保存法によって明治41年8月1日、特別保護建造物に指定された。
指定説明「元和3年創建構造装飾華麗繊巧を極む 其様式手法日光廟の先駆をなせる者にして徳川時代初期を代表すべき貴重の標本なり」
久能山東照宮唐門・東門・廟門・渡廊・玉垣は、社殿より3年余遅れて、明治45年2月8日に特別保護建造物に指定されている。当時の特別保護建造物は現在の国宝に相当する。
指定説明「既に特別保護建造物に指定せられたる本殿石の間拝殿と共に元和年間大棟梁中井大和の経営せしものにして、徳川時代初期豊美なる手法装飾の先駆をなせるものなり」
昭和25年5月30日、従来の文化財保護関係法令は統廃合されて、新しく「文化財保護法」が制定された。
昭和30年6月22日、久能山東照宮建造物の特別保護建造物指定は一端解除され、文化財保護法により重要文化財に指定(追加指定あり)された。
明治30年制定の「古社寺保存法」により「特別保護建造物」 に、昭和4年制定の「国宝保存法」により「国宝」に指定された建造物は、昭和25年に「文化財保護法」が制定されるまでは、すべて国宝と呼ばれており、その累計1115件、1871棟となっていた。
昭和34年6月17日、久能山全域が国の史跡に指定された。
昭和42年12月11日、久能山東照宮伝来の釣燈籠8個・手水鉢石1口・安鎮法供養具11組が重要文化財に追加指定された。
昭和54年6月6日、久能山東照宮博物館に収蔵されている家康公の手沢品76種191点が「徳川家康関係資料」として重要文化財に指定された。
1日目研究発表要旨
・軽部 弦
氏
「鶴岡八幡宮祭礼芸能としての鎌倉神楽
― 近世から現代への遷移を中心として ―」
「鎌倉神楽」とは、神奈川県鎌倉市に鎮座する鶴岡八幡宮の「職掌(シキショウ)」と呼ばれる神楽男の家により伝承されてきた神楽である。「職掌」は鶴岡八幡宮周辺の神社の宮司がその職を兼職しており、自身が宮司を務める神社でも同様の神楽が執り行われるため、鎌倉、藤沢、横浜、三浦半島各地の神社の祭礼でも神楽を見ることができる。
明治時代に職制が変わったことにより、現在の鶴岡八幡宮に「職掌」の制度はないが、鎌倉神楽は「職掌」の家系の神職が奉仕する神社を中心に継承されており、鶴岡八幡宮に於いても鎌倉神楽は11月8日丸山稲荷社の「火焚祭」という祭典に続いて奉仕されている。
鎌倉神楽は、その見た目から「湯立神楽」と呼ばれるほか、奉仕する「職掌」の名を冠し「職掌神楽」とも呼ばれる。神楽の歴史、起源を考える上で「職掌」の鶴岡八幡宮での神楽奉仕について考察することは重要であると考えられる。しかし、現在の神楽伝承の主体が鶴岡八幡宮ではなく周辺の神社であること、また、各神社の祭礼ごとに文化財指定がされていることもあり、近世以前の鶴岡八幡宮における「鎌倉神楽」に注目した研究は比較的少ないように感じる。
本論では、「鎌倉神楽」を鶴岡八幡宮の祭礼における神楽として注目し、近現代以前の鶴岡八幡宮における鎌倉神楽の姿を史料、紀行文、絵図などから考察し、鶴岡八幡宮で行われてきた他の神楽と比較しつつその実態を捉えたい。
・鬼頭 秀明
氏
「山・鉾・屋台の風流と芸能 ― 三河から伊勢の宿駅を上る ―」
ダシ(山車)と総称される山・鉾・屋台が登場する祭礼行事が様々な免から見直されている。その多くは過去の歴史を背景に、江戸時代の都市祭礼として発生し整えられてきた。
各各の祭礼には、地域ごとの凝縮した民俗文化と地場産業との象徴として、個性豊かな祭礼出し物が出現したのである。
例えば旧東海道では東と西の起点、すなわち江戸と京は、ダシ、山鉾、屋台が出る祭礼文化の拠点であった。そこをつなぐ宿駅ごとに、個性ある祭礼が展開された。中でも三河・尾張・伊勢の旧三国、現在の東海地方では独創的な祭礼風流が採用され、さらに発展したのである。
歴史だけではなく、風土と、周辺地域の個性・流行も取り入れてゆく。そのため街道でつながっていたとしても、共通する点のあるものとないものとが存在する。
そこで演じられた芸能も同じ傾向がある。東海地方の旧東海道宿場祭礼から、この地方におけるダシ祭礼風流と芸能の諸相を考える。
・松田 香代子
氏
「静岡県内の民俗芸能・民俗行事の現状
― 1990年代の記録保存ビデオ制作から30年 ―」
令和5(2013)年現在、静岡県内の無形民俗文化財のうち国指定が11件、県指定が46件となっている。静岡県ではこれら無形民俗文化財の記録を保存し、かつ後継者育成に活用する目的で、平成4(1992)年度から当時の国指定・県指定の無形民俗文化財の記録保存ビデオ制作をおこなった。この無形民俗文化財伝承活性化推進事業は平成10年度まで継続され、全45本の映像記録を残すことができた。30年前、高齢化・過疎化による民俗芸能・民俗行事の継承に危機感を覚え、これを将来に残そうとした県・各市町教育委員会と学識経験者、そして全面的に協力を惜しまなかった地元保持団体による映像記録は、今となっては貴重な財産となっている。
令和元(2019)年末から始まった新型コロナウイルスのパンデミックにより、ほとんどの祭りが密を避け無観衆での開催を余儀なくされてきた。これまで辛うじて継承されてきた民俗芸能・民俗行事は、後継者不足に拍車がかかり、コロナ前の祭礼の状態に戻すこともままならなくなっている。今、祭りの継承にどう向き合えばいいのか、30年前の映像記録を手がかりに民俗芸能・行事の将来を考えてみたい。
・茂木 仁史
氏
「琉球国の「御冠船躍とからくり花火」」
琉球国では、王が交代すると中国皇帝の承認を得るために使者を招いて冊(文書)による儀礼「冊封御規式」を行った。明国時代には冠が下賜されたことから、冊封使が渡来する船を「御冠船」と呼び、やがて冊封の行事を象徴的に「御冠船」と呼びならわし、宴に供される催しを「御冠船躍」と呼んだ。「御冠船躍」は琉球舞踊と組踊ばかりではなく、古来の輪躍りや船漕ぎ競争のほか棒術、獅子舞なども含み、「花火」もまた重要な催しであった。
花火は首里城の御庭では打ち上げることができないため、琉球独自の「からくり花火」が考案され、その趣向は「御冠船」の行事に相応しいものとなった。「からくり花火」は琉球国とともに失われたが、現在、国立劇場おきなわでは、尚家文書『火花方日記』を参考にして、復元に取り組んでいる。
第17回本田安次賞授与式
令和5年度本田安次賞選考結果・選考理由が本田安次賞選考委員会 茂木 栄 (野村 伸一 委員長の代理)から報告され、本田安次賞が 茂木 仁史 氏の『首里城の舞台と踊衣装』榕樹書林刊(「踊衣装」の章は古波蔵ひろみ著)令和5年2月刊、及び「首里城の「御城舞台」と「火花」」『藝能』第二十九号、令和5年3月刊に授与された。
・受賞者および選定理由の詳細は こちら
以上
お問い合わせ先
- 民俗芸能学会事務局(毎週火曜日 午後1時~4時)
- 〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学演劇博物館内 [地図]
- 電話:03-3208-0325(直通)
- Mail:office[at]minzokugeino.com (* [at] を @ に換えてお送り下さい。)